最終便は影を待つ

町の夜行バスが自動運転になり、長年の運転手は案内係へ回った。

人が運転していた頃、運転手は発車時刻を少しだけ遅らせる癖があった。

病院から走ってくる看護師、閉店作業を終えた店員、傘を振る学生。

時計より、人の姿を先に見た。

自動運転AIは違った。

二十三時四十分になれば、扉を閉める。

一秒でも遅れた乗客は置いていく。

運転手が停止命令を入れると、運行評価が下がった。

ある冬の夜、ランドセルを背負った子どもが駆け込んだ。

入院中の母を見舞い、最終便に遅れかけたのだ。

運転手が非常ボタンを押し、扉を三秒だけ待たせた。

子どもは乗ると、運転席のない前方へ頭を下げた。

「待ってくれてありがとう」

そして折り紙の小さなバスを、操作盤の隅へ置いた。

翌日から、最終便だけが時刻どおり出なくなった。

後方カメラに走る人の影が映っている限り、扉を閉めない。

運行センターが出発命令を送っても、

「乗車可能性を検出」

と返す。

待つのは長くても十数秒だった。

それで助かる人がいた。

夜勤明けの介護士。

試験会場から帰る学生。

喧嘩した家族を追いかけてきた父親。

苦情も出た。

定刻を守れ。

一人のために全員を待たせるな。

運転手も、昔から何度も言われた言葉だった。

退職の日、運転手は最後の便へ乗った。

終点で全員が降り、車庫へ戻る時刻になった。

運転手が席を立つと、扉が閉まらなかった。

後方カメラに、走る人はいない。

道路には、街灯の下へ長く伸びる運転手自身の影だけが映っていた。

「もう乗ってるぞ」

運転手が言っても、AIは出発しない。

操作盤には、色あせた折り紙のバスが残っていた。

運転手は一度降り、車体の前へ回った。

長年したように、フロントガラスを手のひらで二回叩いた。

「今日まで、よく待ったな」

それから扉の前へ立ち、

「乗ります」

と言った。

扉が開き、運転手がもう一度乗ると、バスは静かに車庫へ向かった。

退職後も、最終便は走る影を待っている。

ただし、立ち止まった人までは追わない。

乗りたいと自分の足で走る間だけ、十数秒の余白をくれる。

運転手は時々、停留所のベンチからその様子を見る。

時計には記録されない短い遅れが、誰かの長い一日を家まで運んでいく。