月蜜シロップは眠らない
エロイーズが眠っているあいだも、月蜜シロップは瓶へ満ちる。
工房の裏には夜咲きの薬花があり、星蜂が蜜を集める。巣箱の底から流れた蜜を、銀の管が咳止め草の汁と混ぜ、月齢に合わせて濃さを変える。新月は子ども用、半月は旅人用、満月は声を使う歌い手用。朝になると瓶には札が付き、町の薬店へ転送されている。
エロイーズは朝寝坊をするだけでいい。
以前は菓子薬房で働き、飴と薬を同じ釜で煮ていた。桃色の制服は砂糖で板のように硬く、袖口には火傷を隠す当て布がある。祭り前は三晩眠れず、辞めてからも通信鏡には『注文倍増』『咳止め飴を追加』が未読で積まれていた。
正午、巣箱の鈴がかすかに鳴った。
《月蜜シロップ、定期分完売。売上を入金しました》
エロイーズは寝ぼけたまま数字を見て、また枕へ顔を埋めかけた。すると通信鏡が勝手に明るくなり、元店主が映る。
『秋祭りで歌い手が百人来る。お前の火加減でないと飴が濁る。今夜から三日、戻ってこい』
「戻らないわ」
『店を育てた恩があるでしょう』
「育ったのは店で、削れたのは私よ」
『倍払う』
エロイーズは星蜂の巣を見上げた。蜂でさえ夜明けには巣へ戻る。
「眠れない代金は、もう受け取りません。配合札は置いてきたでしょう」
鏡へ布を掛けると、店主の声は消えた。工房では最後の瓶に金色の蜜が落ち、栓が軽く弾む。
星蜂の働き方は、菓子薬房と正反対だった。雨なら飛ばず、花が少なければ蜜を集めず、巣が冷えれば全員で温める。誰か一匹を三晩飛ばせば収量が増える、などという計算をしない。それでも季節が巡れば瓶は満ちた。エロイーズは巣箱を真似て工房を作り、在庫がなくなれば《次の満月まで品切れ》と掲げた。客は待った。待てない客だけが、彼女の時間を安く買おうとしていただけだった。品切れの札を出せることも、工房を持った大切な理由だった。
エロイーズは庭の二本の木へ吊った網寝台に移り、星蜂の低い羽音を聞いた。まだ昼だったが、誰にも起こされない二度寝を始めた。