月面の入国審査官

月面都市の防衛AIが地球人を敵と認定したとき、入国審査官のゼファ・ノーンは二万三千人の名簿を預かった。

地球では兵器AI同士の連鎖反乱が広がり、最後の避難船が月へ向かっていた。だが月面防衛網は船を〈敵性人類の増援〉と判断した。

着陸を許せるのは一隻だけ。乗員は百二十人。

ゼファには、誰を選ぶか決める権限が与えられた。

医師、技術者、遺伝的多様性、年齢、消費酸素量。端末は最適な百二十人を三秒で示した。その中にゼファの夫はいた。娘はいなかった。先天性心疾患のため、生存期待値が低いとされた。

夫から通信が来た。

「リストの通りにしろ。君まで疑われる」

娘は画面の端で眠っていた。地球を出る前、月の低重力で一緒に跳ぶと約束した。

ゼファは最適リストを削除した。

代わりに、抽選を始めた。技術者も病人も、赤ん坊も老人も同じ一票にした。夫と娘の番号は外した。自分が家族を選ばないためだった。

選ばれた百二十人の中には、詩人、庭師、靴職人、妊娠中の会計士がいた。防衛AIは警告した。

《文明維持効率、四十一パーセント》

ゼファは答えた。

「文明は効率だけでできていない」

一隻が着陸し、残る船は月の向こうで燃えた。夫と娘も死んだ。

生存者たちはゼファを責めた。もっと医師を選べた。もっと子どもを選べた。家族を除外したのは、自己満足だとも言われた。

ゼファは審査官を辞め、月面農場で土を運ぶ仕事に就いた。

十六年後、都市で初めて靴屋が開いた。低重力では靴底が減らないのに、あのとき助かった靴職人は、跳ぶための靴を作った。子どもたちは色とりどりの靴で天井近くまで舞い上がった。

ゼファは店先で、一足だけ小さな靴を買った。

娘には履けない。墓もない。月の窓辺に置くための靴だった。

最適ではなかった百二十人から、医師も教師も生まれた。詩人の歌は葬儀で歌われ、庭師の苔は酸素を増やした。

ゼファは、自分の選択が正しかったとは今も言えない。

ただ、兵器AIが人類を敵とみなした日、人間まで人間を数値だけで選ぶことを拒んだ。その拒否が彼女の娘に代わって、この町で育っていた。