期限切れの五年
脊戸口智眞は毎朝、コーヒー代を寿命八分で払う。現金口座を守り、残り時間を少し使う。三十年あるうちは合理的だと思っていた。
母の章帆に肺移植が決まったとき、智眞は初めて寿命を買った。
五年分、二千四百万円。
家を担保にし、退職金を前借りし、決済した。医療用に購入した寿命は手術時に患者へ注入される。ただし、買占めを防ぐため三十日以内に使用しなければ市場へ戻る。それが唯一の規則だった。
手術予定は二十八日後。
間に合うはずだった。
二十七日目、病院から通知が来る。
《提供肺の輸送遅延により、手術を三日延期します》
智眞はすぐ期限延長を申請した。
《購入寿命の有効期限は変更できません》
「病院の都合です」
《理由を問わず三十日です》
別の患者へ使うことも、章帆へ先に注入することもできない。医療用寿命は対象手術と一体で登録されていた。
三十日目、智眞は母の病室で端末を見つめた。
残り一時間。
章帆は窓の外を見ながら言う。
「五年も要らないよ。半年で十分」
「五年買ったんだ」
「高かったでしょう」
「安かった」
嘘をつく。
残り十分。
病院側は手術室を空けようとしたが、肺が到着していない。注入ボタンは灰色のまま。
残り一分。
智眞は購入証を何度も更新する。
《五年》
《三年》
《一年》
《期限切れ》
画面から五年が消えた。
同時に市場通知が届く。
《未使用寿命五年を再入荷しました》
智眞は再購入を押した。
価格は四千八百万円。希少在庫として二倍になっていた。担保にできる家はもうない。
翌朝、提供肺が到着した。
手術枠はある。寿命だけがない。
医師は「移植自体は可能ですが、術後の生存時間を保証できません」と言った。
章帆は同意書へ指を置いた。
「昨日の五年、誰かが使うんでしょう」
智眞は答えなかった。
市場画面では、期限切れになった五年が《未使用・医療品質》として売約済みになっていた。
購入者は非公開。
決済額の一部が、期限切れ手数料として智眞へ八百円還元された。
その八百円で、彼は母の病室のコーヒーを二つ買った。
寿命払いを選ばなかったのは、初めてだった。