桜を待たない申込書
故郷の観光協会から届いた移住案内には、満開の桜並木が印刷されていた。
眞昼は、その写真が三年前のものだと知っていた。川沿いの桜は病気で半分伐採され、今は若い苗木が等間隔に立っている。帰省した冬に見た枝は細く、花のない空を支えきれないようだった。
案内に同封された空き部屋の申込書は、今月末まで有効だった。
東京の冷蔵庫には、二枚の絵葉書が磁石で留めてある。一本の古い桜が満開の葉書と、伐採後の河川敷を撮った葉書。後者は地元の友人が送り、裏に〈いまはこんな感じ〉とだけ書いていた。
眞昼は満開のほうを長く飾っていた。帰るなら春がいい。きれいな景色に迎えられたい。町が自分の決断を祝福してくれる季節を待ちたかった。
けれど、桜が咲くころには部屋は埋まる。苗木が花をつけるまで何年かかるかも分からない。
二十九歳の焦りは、人生の春を逃す恐怖に似ていた。今決めなければ遅れる。今決めれば間違える。どちらにも急かす声がある。
下見の日、若い桜のそばには支柱が三本ずつ立っていた。一本では風に耐えられないからだという。眞昼は、自立とは支えを持たないことだと思っていた。けれど苗木は括られたまま、それでも自分の根を伸ばしていた。帰郷して頼ることがあっても、選択まで他人に預けなければいい。
眞昼は観光協会へ電話した。
「写真の桜、もうないですよね」
担当者は少し困って、「案内の差し替えが間に合っていなくて」と謝った。
眞昼は謝罪を聞きたかったわけではない。「苗木の部屋からの見え方を教えてください」と頼んだ。担当者は窓の向きや、冬の風の強さ、川沿いの工事音まで話してくれた。写真よりずっと暮らしに近い説明だった。
電話を切り、申込書の入居希望日を二月一日と書く。花の季節より前、いちばん寒い時期だった。
満開の葉書は捨てなかった。ただ、伐採後の葉書をその上に重ね、二枚とも荷造り箱へ入れた。
町が美しくなるのを待って帰るのではない。
細い枝しかない景色を選んだことを、春になって忘れないために持っていく。