正月の座布団

沓掛家の正月、亜弓の座布団だけはなかった。

義母の富子が上座、義父の彰徳が隣、夫の隆成がその下。亜弓は夜明け前から雑煮を作り、酒を運び、冷えた台所で立ったまま残り物を食べる。

「嫁は座る暇がないくらいが縁起いいの」

富子が毎年そう笑った。

今年は、亜弓が運んだ重箱の上に白い封筒が載っていた。

隆成が眉をひそめる。

「母さんの祝いの席で何だよ」

「私の精算書」

封筒には、三年間の《親孝行積立》の記録が入っていた。隆成の指示で亜弓の給与から毎月十二万円、賞与は全額、富子の口座へ送金されている。彰徳の車、温泉旅行、家の外壁工事。支出の横には富子自身の字で「嫁負担」「不足なら夜勤を増やす」と書かれていた。

富子は笑った。

「家族の家計簿が証拠になるものですか」

亜弓は台所の棚から古い家計簿を十二冊出した。富子は嫁を監視するため、毎晩、支出に赤字で命令を書き、確認印を押していた。

《実家への電話代は罰金》

《体調不良でも朝食を休ませない》

《離婚を口にしたら退職金を没収》

隆成の印も並んでいる。彰徳は、家計簿を公正証書のように大切に保管しろと命じていた。亜弓はその通りにしたのだ。

玄関で靴音がし、代理人弁護士が入ってきた。

「経済的虐待、強制的な送金、人格否定行為について、三名へ慰謝料一千万円。不当利得返還、治療費、休業損害を合わせ、請求総額三千四百万円です」

隆成は封筒を投げ返した。

「正月から冗談はやめろ。夫婦の金だろ」

「夫婦の金を、母親名義へ隠す相談も残っています」

亜弓がスマートフォンを置くと、隆成の声が流れた。

『離婚されたら困る。家も預金も母さん名義にしておけば、亜弓には何も渡らない』

除夜の鐘の余韻がまだ遠くに残っていた。

彰徳が立ち上がる。

「うちの家まで狙う気か!」

弁護士は登記情報を開いた。

「すでに地方裁判所の仮差押えが登記されています。預金三口と、この自宅です」

富子は床の間の上座から動けなかった。

亜弓は、自分のために持ってきた一枚の座布団を敷いた。その正面に、赤い受付印の付いた訴状を置いた。