正解を消す仕事
宗像初音が退職前に確認していたのは、新入社員向け研修の最終テストだった。
設問は一つ。顧客情報を誤送信したとき、最初に何をするか。研修動画では古い手順が読み上げられ、テストだけ直しても受講者は二つの答えを覚えることになる。正解欄には〈本人へ謝罪メールを送る〉とある。だが今年改訂された社内手順では、送信を取り消せる可能性があるため、まず情報管理窓口へ連絡することになっていた。先に本人へメールを送れば、誤送信先へも通知が届き、削除できたはずの添付ファイルを開かせる危険がある。順番は礼儀ではなく、被害を広げないための手順だった。
後輩は、手順書に合わせて答えを直そうとして、上司に止められている。
「去年からこの問題で百人以上合格している。今さら正解を変えると、過去の研修が間違いだったことになる」
初音はテスト配信を止めた。開始まで十五分。
「間違いだったと分かった時点で、正解を残す方が間違いです」
上司は、解説文だけ曖昧にすればいいと言った。初音は設問そのものを取り下げ、新しい手順を選ぶ問題へ差し替えた。過去受講者には短い追補教材を送り、完了を評価へ影響させない。後輩には修正者の名前を消さず、改訂理由と日付を履歴へ残してもらった。
「正解を変えるの、怖くないですか」
「怖いよ。でも、変えた人が見える方が、次の人も直せる」
配信は七分遅れで始まった。受講画面には、最新版の手順と更新日が表示されている。最初の受講者が新しい答えを選び、解説画面から窓口番号を自分の端末へ保存した。
初音は来週、学校向け教材を作る会社へ転職する。内定を受けたあとも、今の会社で評価されてきた〈間違えない編集者〉という肩書を捨てるのが惜しかった。けれど今日、自分が得意なのは正解を守ることではなく、正解が変わったときに教材を変えることだと分かった。
転職先から、週四日勤務の契約案が届いていた。空いた一日は学び直しに使う。収入は少し減るが、知らないことを減らす時間を仕事の外へ確保できる。
初音は修正版を提出した。契約画面では月、火、木、金を勤務日に選び、水曜日を学び直しの日として確定する。
最後に消したのは、古い正解と、いつでも正しくいなければならない働き方だった。