死神は病室を間違えた

夜の病院で、黒い影が七〇八号室の前を往復していた。

入院患者の篁谷織彦は、同室の二人を起こした。

「死神だ」

「清掃員じゃない?」

「鎌みたいな物を持ってる」

「モップでは」

「顔が白い」

「マスクでは」

黒い影は扉を開け、低い声で言った。

「お迎えに来ました」

三人は一斉に互いを指した。

「この人です」

「いや、窓側の人が重症」

「織彦さんが最年長」

「年齢順で死神へ推薦するな!」

影は首をかしげた。

「どなたが、しげる様ですか」

三人とも違う名前だった。

織彦は胸をなで下ろす。

「病室を間違えたな」

隣の患者が言う。

「でも、誰かの迎えには違いない」

もう一人はナースコールを握る。

「看護師へ引き渡そう」

「死神を?」

「夜勤の業務範囲が広すぎる」

黒い影は廊下へ出たが、すぐ戻ってきた。

「七〇八と聞きました」

「ここは七〇八」

「では、しげる様を隠している?」

「病院ぐるみの延命工作みたいに言わないで」

三人は隣室の患者を思い出した。

「七〇六に茂さんが」

「教えるのか」

「身代わりにしたと思われる」

「本人確認は死神の仕事だ」

「責任を超常側へ戻そう」

黒い影が名簿を見せた。

「名字は読めませんが、名前は“しげる”です」

織彦が言う。

「達筆すぎて死者の名まで暗号だ」

隣の患者はベッド番号を確認する。

「七〇八の八を、地下のBと見間違えたのでは」

「そんな初歩的な」

影は名札を隠した。

「本日が初勤務です」

「死神にも新人研修が?」

話を聞いた看護師が駆けつけた。

黒い影を見て、ため息をつく。

「また階を間違えましたね」

影が頭を下げた。

「すみません」

死神ではなく、葬儀会社の新人スタッフだった。地下霊安室から故人を搬送する予定で、案内札の〈B708〉〈七〇八病室〉と読んだのだ。黒い服、白いマスク、鎌に見えた物は折り畳み式のストレッチャーだった。

織彦が尋ねる。

「“お迎え”は?」

「搬送のお迎えです」

「では誰も死なない?」

看護師は三人を見回す。

「今夜の予定にはありません」

三人は安心して眠った。

翌朝、全員が退院希望を出した。