海苔が縮む山芋焼き
店主が鉄板の火を切る直前、ギターケースを背負った若い客が入ってきた。
「まだ何かできますか」
「山芋焼きなら、鉄板が熱い」
客はケースを壁へ立てかけ、息を吐いた。
すりおろした山芋が鉄板へ流されると、じゅわっと縁が泡立った。醤油を落とすと甘い焦げ香が上がり、上に載せた海苔が熱でゆっくり縮んでいく。表面は薄く焼けても、中心は白く揺れていた。
客のバンドは、その夜の練習で活動休止を決めた。ベースは転勤、ボーカルは結婚、もう一人は「しばらく音楽から離れたい」と言った。客だけが、もう少し続けられると言えなかった。駅のロッカーに預けていた機材を引き取り、共有フォルダを開くと、未完成の音源が二十七曲並んでいた。ファイル名には、四人しか分からない冗談や、録音した季節の日付が残っている。壁際のギターケースだけが、まだ次の練習を待つ形で立っていた。
山芋焼きへ箸を入れる。表面の海苔が裂け、内側の生地が糸を引いた。
「海苔、小さくなりましたね」
客が言うと、店主は鉄板の火を落とした。
「縮んだぶん、くっつく」
その声は料理の説明にしか聞こえなかった。
山芋は外が香ばしく、中は熱く柔らかい。海苔の匂いと醤油の焦げた甘さが混ざり、箸で切っても完全には離れなかった。客は、解散という言葉を誰も使わなかった理由を考えた。続ける約束も、終わる決意も、四人にはまだ形がなかった。
スマートフォンを開き、共有フォルダを自分の外付け記憶装置へ保存する予定を明日の朝に入れた。そのあと、三人へ一通だけ送る。
《二十七曲、消さずに預かる。落ち着いたら一度だけ聴こう》
返事は求めない。再結成の誘いにも、別れの挨拶にもしない。自分が音楽を続けるかどうかも、今夜は決められなかった。ただ、誰かが消す前に、残っている音を持っておく。
店主が店の灯りを一つ落とした。最後の一切れは皿へ張りつき、箸でゆっくり剥がした。海苔の香りは薄くなっていたが、山芋の中心にはまだ、舌を驚かせるほどの熱が残っていた。