海賊船長の最後のラム

嵐の夜、副長ハーゲンは船長ロッカへ杯を渡した。

「二十年の航海に乾杯を」

甲板には反乱者が並び、全員が剣に手をかけている。杯のラムには〈海蛇の胆〉。鯨一頭を沈める毒だ。

ロッカは一息で飲み、空杯を樽へ置いた。

「いい酒だ。少し潮臭いがな」

ハーゲンは笑いながら、波の回数を数えた。毒は心臓ではなく平衡感覚を奪う。三度揺れれば立てなくなり、海へ落とすだけで終わる。

船が一度傾く。二度。三度。

ロッカは舵輪の前で、腕を組んだまま立っている。

「なぜ倒れない」

副長の声に、笑っていた船員たちが黙った。毒を仕込んだ船医は樽の穴へ試薬を垂らし、海蛇の胆に間違いないと告げる。反乱者の何人かが剣から手を離した。勝つ側へ付いたつもりだった彼らは、今になって、どちらが勝つ側なのか分からなくなった。樽へこぼれた一滴が木材を腐らせ、甲板に穴を開けていた。毒は本物だ。

「昔から毒が効かない体質か?」

「いや。昔はよく腹を壊した」

ロッカは空を見た。雷光の向こう、反乱者が用意した敵国の軍艦が並んでいる。ハーゲンは毒殺だけでなく、船ごと売るつもりだった。

「なら船ごと沈めろ!」

副長が信号灯を振る。軍艦の主砲が一斉に火を噴いた。砲弾と爆炎が海賊船の中央を呑み、黒煙が帆より高く立ち上がる。

ハーゲンは救命艇へ飛び移り、残骸を見上げた。

煙が風に裂ける。

折れたマストが海へ落ちるはずの角度で止まり、船板が逆向きに噛み合っていく。その中心でロッカは舵輪の前に立ち、腕を組んだ同じ姿勢を崩していなかった。船体は彼を中心に割れることなく、砲弾だけが潰れて甲板へ転がっている。

甲板下から、生き残った忠実な船員たちが顔を出す。砲撃の直前、ロッカが全員を船員名簿へ書き戻していた。彼は自分だけでなく、船に属する者まで航海の結末へ残していた。

「船長職の説明を読まなかったな」

ロッカが舵輪を回すと、折れたはずの帆が風をはらんだ。

〈最後まで船に立つ者〉。俺が船長である限り、俺とこの船は航海不能にならない」

軍艦が再装填を止める。ハーゲンは救命艇の端で、初めて一歩退いた。