消した一行
佐宗ひよりは、交換日記の一行を消した。
放課後、窓際の席で書いた。
――私は、たぶんあなたが好き。
五秒見つめ、消しゴムをかけた。
「たぶん」が卑怯に見えた。「好き」が重く見えた。「あなた」が他人行儀に見えた。結局、紙が薄くなるまでこすり、その上へ別のことを書いた。
――今日の英語、宿題は三十二頁。
翌朝、日記を渡すとき、相手はいつもどおり「了解」と言った。
昼休みに返ってきた頁には、宿題への返事しかなかった。
――三十三頁まで。先生が訂正してた。
ひよりは安心し、同じくらい失望した。
その日の掃除当番で、二人は窓を拭いた。机を廊下へ出すと、日記が床へ落ちた。
相手が拾い、開いた。
西日が斜めから頁を照らした。
消した文字の跡が、紙のへこみとして浮かんだ。
ひよりは手を伸ばした。
「見ないで」
「もう見えた」
「読めた?」
「たぶん」
その言葉に、顔が熱くなった。
相手は日記を閉じず、窓辺へ置いた。鉛筆を取り出し、消した一行の下へ何か書く。
ひよりは見られなかった。雑巾を絞り直し、もう十分きれいな窓を何度も拭いた。
「返事」
差し出された日記を見る。
新しい一行は、消しゴムで消されていた。
「何これ」
「同じ条件」
「読めない」
「光に当てれば」
「ずるい」
「先にやったのはそっち」
ひよりは日記を持ち上げた。
夕日の角度を探す。右へ傾け、左へ戻す。紙のへこみに影が入り、少しずつ文字が現れた。
――たぶんを取ったら、同じ。
心臓が一度、大きく鳴った。
「同じって、何が」
「消した文」
「私の、読めたんじゃないの?」
「全部は」
「じゃあ勘?」
「交換日記を二年やってれば、だいたい」
ひよりは笑うしかなかった。
二人で机を教室へ戻した。日記は窓際に置いたまま、夕日の中で開いている。
消した二つの一行は、正面から見ると何もない。角度を変えたときだけ、紙の傷として読めた。
翌日、ひよりは同じ頁へ、今度は消さずに書いた。
――私は、あなたが好き。
返事は短かった。
――知ってる。昨日から。
ひよりは赤ペンで「二年前から」に直した。
それ以来、二人は大事なことほど濃い鉛筆で書いた。それでも、最初に気持ちが重なったのは、文字が消えたあとの白い場所だった。