温室の足跡

 杜若弥生の町に、珍しく雪が積もった。

 花屋の開店準備をしていると、小学生が一枚の写真を持ってきた。隣家の橙色の猫・金柑が、夜のうちに窓から出て戻らないという。

 雪の上には足跡が残る。すぐ見つかると思った。

 ところが町じゅうに、猫より大きな犬の跡、鳥の跡、人の靴跡が入り乱れていた。

 弥生は花屋の前から続く小さな梅形を見つけ、子どもたちと辿った。足跡は路地を曲がり、郵便局の裏へ出て、そこで除雪車の跡に消えた。

 魚屋は発泡箱の陰を確かめ、郵便配達員は庭先へ声をかけた。園芸好きの老人は「寒い猫は風のない場所へ入る」と教えた。

 捜索の人々は、白い町の中で色のあるものを目印にした。

 赤い郵便受け、青い自転車、緑の温室。

 温室は町外れの共同菜園にある。

 冬はほとんど使われないが、入口の雪に、小さな穴が開いていた。

 弥生が戸を少し開けると、湿った土と葉の匂いが流れ出した。外の冷たさとは違う、春をしまっておいたような空気だった。

 奥の苗床で、橙色の塊が丸くなっている。

「金柑」

 飼い主の子が呼ぶと、猫は顔を上げた。

 温室へ入ったものの、積もった雪に驚いて出られなくなったらしい。怪我はなく、前足に少し土がついているだけだった。

 抱き上げられると、金柑は子どものマフラーへ鼻を埋めた。

 皆は温室の作業台で休んだ。

 菜園の老人が持っていた魔法瓶から、熱い柚子茶が配られる。弥生は店から持ってきた金柑の甘露煮を一粒ずつ渡した。

「金柑を捜して、金柑を食べるの?」

 子どもが笑う。

 猫は匂いだけ嗅ぎ、当然のように顔を背けた。

 帰り道、誰かが足跡の上へ新しい足跡を重ねた。

 一人では迷う線も、皆で歩けば太い道になる。

 翌週、共同菜園では温室の隙間を直す作業が行われた。花屋、魚屋、郵便局、小学生の家族。作業後には同じ作業台で茶を飲んだ。

 弥生が苗の鉢を並べていると、窓の外に金柑が見えた。今度はリードのついた散歩で、子どもと一緒だ。

 雪はほとんど溶けていた。

 温室には湿った土、柚子茶、陽に温められた木の匂いが残り、冬の町の真ん中に、小さな春の居場所ができていた。