潮豹に真水を

銀潮豹が漁村の浜へ上がった。

海神の眷属と呼ばれる巨豹は、怒れば港を丸ごと波で呑む。漁師たちは舟を捨てて高台へ逃げ、領主の兵は堤防に弩を並べた。

網直しのサフィは、逃げ遅れたわけではなかった。

銀潮豹の足跡を見ていたのだ。

幼い頃から裸足で浜を歩いた彼女は、塩で裂けた踵の痛みを知っている。潮豹は波を操れるのに、波打ち際から先へ進めず、乾いた砂ばかり選んで踏んでいた。恐ろしい咆哮も、寄せる海水に脚が触れた瞬間だけ上がる。

濡れた砂に、薄い血が四筋ずつ残っている。

海の獣なのに、波が寄せるたび前脚を引っ込めていた。

「塩が染みてるんだ」

サフィは井戸水の桶を持ち、浜へ降りた。

兵士が「戻れ」と怒鳴る。銀潮豹も牙を剥いたが、その唸りの途中で右前脚が震えた。

「噛みたいなら、洗ったあとにして」

しゃがみ込み、桶を少し離して置く。

銀潮豹は匂いを嗅ぎ、片脚を水へ入れた。ひりついたのか爪が伸びたが、やがて肩から力が抜ける。

肉球は貝殻で細かく裂け、塩の結晶が白く固まっていた。

サフィは真水を何度も替え、柔らかな布で結晶を溶かした。洗う間、銀潮豹は爪を引っ込めたまま、彼女の肩越しに海を見ている。痛みが強いところでは尾が砂を叩いたので、そのたび手を止めた。

傷には魚油と薬草を混ぜた軟膏を薄く塗る。包帯を巻くと、銀潮豹は不思議そうに白い足先を持ち上げ、四方から眺めた。

一脚終わると、銀潮豹は次の脚も差し出した。

高台から見ていた村人たちのざわめきが、だんだん笑いを含むものへ変わる。最後の後脚を洗い終えたとき、海面まで鏡のように静まっていた。

領主が金の首輪を手に近づく。

「助けたのは村の総意だ」と言いかけた彼の前で、銀潮豹は包帯を巻いた脚をサフィの足へ重ねた。一瞥しただけで背を向け、彼女の隣へ伏せる。高台から、誰かの小さな笑い声がした。

「海へ帰らないの?」

問うと、長い尾が砂を一度叩く。

それから銀の頭が腿に乗り、濡れた髭が膝をくすぐった。

潮の匂いを残す毛は、表面こそ冷えていたが、奥へ指を差し込むと日なたの岩より温かい。呼吸のたび増す重みを、サフィは両腕で抱き留めた。