片耳ぶんの海

十六時十分。五十畑暁弥は離島行きフェリーの待合室で、葛城小春へ送った。

〈イヤホンの片方、返す。十六時二十分まで桟橋にいる〉

未読。

掌にあるのは、右耳用の白いイヤホンだ。二人で一組を分け、同じ曲を聴きながら海沿いを歩いた。小春が島の診療所へ赴任すると決めた日も、左を彼女、右を暁弥がつけていた。

「遠距離は無理」と言ったのは暁弥だった。

「じゃあ返して」と小春は答えた。イヤホンのことか、二人の時間のことか、聞き返せなかった。

十六時十三分。未読。

フェリーは予定より早く乗船を始めている。小春の姿はない。暁弥はイヤホンを小さな封筒へ入れ、窓口で彼女宛ての遺失物として預けた。直接渡せなかったことまで、事務的な手続きにしてしまえば楽だった。

十六時十六分、乗船口が閉じる。

ガラスの向こう、船尾デッキに小春が現れた。彼女はすでに乗っていた。携帯を何度も持ち上げるが、沖へ向かう船内回線はつながらないらしい。

暁弥は窓を叩いた。届くはずのない音だった。

十六時十八分、港のWi-Fiを拾った携帯が震える。

〈先に乗ってる。あなたが来たら、一緒に島へ行ってほしいって言うつもりだった〉

続いて、音声ファイルが届いた。再生すると、片耳だけの音楽の向こうで、小春が笑っている。

『右は持ってて。帰ってくる理由を、半分そっちに置いていきたい』

送信時刻は十六時九分。船内の送信待ちから、九分遅れて届いた。

暁弥は窓口へ戻った。

「さっき預けた封筒、取り消せますか」

係員は首を振る。「もう船内便の袋に封をしました。到着後、葛城さんへ渡ります」

フェリーが岸を離れる。小春は左耳のイヤホンをつけ、片方だけで曲を聴いている。

暁弥の携帯には、彼が送った言葉がまだ未読で残っていた。

封筒が届けば、小春は右耳も取り戻す。帰ってくる理由は、海の向こうで一組に戻る。

暁弥は次便の券売機を見た。今夜もう一本ある。乗れば、島へ着くのは二時間後だ。

暁弥は次便の行き先と、小春の島の名前をもう一度見比べた。帰りの予定は決められない。

彼は画面の〈購入〉に触れ、片耳ぶんの音楽を携帯から流した。