白い培養皿
発酵タンパク質を作る研究会社で、蓮見真琴は毎朝、白い培養皿を光に透かした。
自動解析は増殖率を数字にしたが、真琴は皿の端にできる薄い輪を見て、問題のない培養まで捨てることがあった。生産効率だけを見れば、彼女の班が最も悪かった。
事業部長の新藤達哉は量産工場の稼働前に言った。
「異常判定が慎重すぎる。捨ててばかりの給料泥棒に、十万リットルの設備は任せられない」
真琴は培養株の管理から外され、その日のうちに解雇された。
新藤は廃棄基準を緩めた。歩留まりは九十七パーセントまで上がり、投資家向け資料には「属人的判断を排除」と書かれた。
ところが量産開始から十日後、全タンクの粘度が落ちた。皿の端に出ていた輪は、増殖の遅い汚染株の兆候だった。検査で見つかった時には元株保管庫まで混ざり、工場は停止。出荷予定だった食品メーカーは契約を凍結した。投資家向けに公開した歩留まりの数字は、廃棄すべき培養まで数えていたと判明し、株主説明会も延期された。
新藤は真琴へ電話をかけたが、番号は使われていなかった。
真琴は、研究資金の尽きかけた競合スタートアップへ移っていた。彼女は元株を小分けにし、色や匂いではなく増殖の癖を記録する仕組みを作った。廃棄率は高かったが、一度も汚染を量産槽へ入れなかった。若手が同じ輪を見つけた日は、真琴は自分の成功より嬉しそうに笑った。
半年後、その会社のタンパク質は長期安全試験を通過し、大手食品メーカーの採用審査へ進んだ。
最終説明会で、新藤は旧会社の工場再開計画を語った。
「設備規模なら当社が圧倒的です。蓮見一人の勘に依存する会社は危うい」
食品メーカーの品質責任者は、真琴が作った判定モデルを画面に出した。皿の輪は画像化され、若い技術者でも同じ判断ができるようになっていた。
「蓮見さんは勘を囲い込んでいません。技術に変えました」
責任者は五年間の独占供給契約を新会社へ提示した。
同時に、旧会社には汚染事故を理由とする取引終了通知が送信された。
真琴が技術責任者として署名した瞬間、新工場建設の融資承認が画面に灯った。