白紙の水曜記

水曜日が消える家では、日記の水曜欄を白紙にしておく。罫線を引いても、頁を破ってもいけない。消えた日に誰かが書いた言葉は、木曜になると筆圧だけ残る。鉛筆でこすれば読めるが、一度読んだ文は二度と浮かばない。

朽木谷怜河は、同居していた恋人の藍以が死んでからも、二人用の日記を続けていた。

月曜は怜河、火曜は藍以、水曜は白紙、木曜はまた怜河。死後、火曜の欄は空いた。日記は片側だけで進む会話になった。

葬儀から七週目の木曜、白紙の頁に深い跡があった。

怜河は鉛筆を寝かせてこすった。

――冷凍庫の奥。

文字は藍以の筆跡だった。冷凍庫には作り置きのカレーと、霜に覆われた小箱があった。箱の中は空だった。

次の週の木曜、また跡が残った。

――捨てないで。

何を指すのか分からない。怜河は藍以の服も歯ブラシも捨てられずにいた。部屋は亡くなった日のままだった。

会社では上司に休職を勧められた。友人は引っ越せと言った。怜河は頷くだけで、毎晩日記を開いた。水曜に何が起きているのか、誰も説明しようとしない。説明を求めること自体が規則違反だった。

三週目。

――あなたのではない。

怜河は空の小箱を調べた。底板が外れ、中から部屋の合鍵が出てきた。怜河が持つものより古く、歯形のような傷がある。

藍以には、この部屋へ来る前の生活があった。話したがらない家族、戻らない兄、名前だけ聞いた友人。怜河は自分が彼女のすべてを知っていたと思い込んでいた。

四週目の木曜、筆圧は一行だけだった。

――水曜に鍵を置いて。

怜河は火曜の夜、白紙の頁に合鍵を挟んだ。規則では、物を置くことは禁止されていない。ただし木曜に戻らなくても探してはいけない。

目を閉じると、次は木曜だった。鍵は消えていた。日記には筆圧もない。

怜河は初めて火曜の欄に「さようなら」と書いた。日記を閉じ、藍以の服を箱へ詰め始めた。

最後に冷凍庫を開けると、空だった小箱の中に、知らない浜辺の砂がひとつまみ入っていた。

砂の上には、藍以がいつも爪に塗っていた青い色の、小さな貝殻が一枚立っていた。