砂糖菓子の踏切
禾本杏慈が玩具のピアノを開くと、砂糖の包み紙みたいな音がした。
菓子メーカー百周年展。四十年前の人気CM曲を、当時の小道具で一度だけ演奏する。跳ねる三連符と鈴の音で、今も子供向け動画に使われる明るい歌だ。
撮影中、主演の少年が踏切で列車にはねられた。会社は休憩中の無断侵入と発表し、CMから少年の顔だけ別の子へ差し替えた。
杏慈の父はその撮影助手だった。死ぬまで「あれは事故じゃない」と言いながら、証拠を示せなかった。
イントロで合成児童声が弾む。
「あと一歩だけ」
玩具ピアノの左端だけ、押すと列車接近音に似た低い震えが出る。Aメロを弾くたび、会場の古い映写機が一コマずつ進んだ。少年は遮断機の外側で踊っている。監督はもっと商品を大きく見せろと身振りしていた。
サビ前、鈴の音が速くなる。本物の踏切警報だ。だが完成CMでは音階を上げ、明るいタンバリンとして使われていた。
観客が歌う。
「あと一歩だけ」
映像の少年が線路へ足を置く。杏慈は演奏を止めそうになった。父のノートには、監督が危険を承知で撮影を続けたとある。しかし肝心の声は録音されていなかったはずだ。
最後のサビで、玩具ピアノの蓋が振動した。内部に古いフィルム録音帯が貼られている。父は小道具へ証拠を隠していた。告発すれば仕事を失う時代に、音だけを未来へ逃がしたのだ。
〈商品が影に入る。もう一歩前〉
〈列車が来ます〉
〈間に合う。もう一歩だけ〉
少年は無断で入ったのではない。監督の指示で、遮断機の内側へ進んだ。父は助けに走り、カメラだけが最後まで回った。
演奏の最後、明るい終止和音へ列車の警笛が重なる。スクリーンには、少年が父へ菓子を投げ、その反動で自分が線路側へよろめく瞬間が映った。少年は逃げ遅れたのではない。撮影助手の父を先に外へ押したのだ。
杏慈は鍵盤から手を離した。
「あと一歩だけ」
夢へ近づく励ましではない。大人が映像のため、子供を死へ踏み込ませた最後の指示だった。