祝辞の入力欄

挙式まで、あと十分だった。

直紀は披露宴会場の控室で、上映用タブレットを受け取った。新婦側の友人代表として、芙由の写真を選ぶ役を頼まれていた。三年前まで恋人だった男に頼む仕事ではない、と誰も気づいていない。

スライドを確認すると、共有メールの下書きが一件残っていた。宛先は直紀。件名は空白。タブレットのカバーには、二人で海へ行ったときに買った青いステッカーがまだ貼られていた。芙由が処分できず、式場の備品に紛れ込ませたものらしい。

〈今日、迎えに来てくれたら、全部やめる〉

作成日は、二人が別れた翌日。芙由が親の決めた見合いへ行った日だった。

直紀はタブレットを持って花嫁控室へ向かった。芙由は白いドレスのまま、鏡の前で一人になっていた。

「これ、何」

「消したと思ってた」

「送ろうとしたのか」

「ずっと送信ボタンを見てた」

直紀は三年前のその日、駅前で待っていた。ポケットには二人の部屋の合鍵と、海辺の町までの切符が二枚あった。芙由が見合いを断ったと聞けば迎えに行くつもりだった。だが連絡はなく、終電と一緒に帰った。彼女は家を選んだのだと思った。

「俺も待ってた」

「知るわけない」

「君も言わなかった」

「あなたも来なかった」

廊下でスタッフがカウントを始める。あと七分。

「俺、駅にいた」

「どうして家まで来なかったの」

「君が選んだ答えを壊すのが怖かった」

芙由は鏡の中で目を閉じた。

「今の相手は、そのときの人?」

「違う。自分で選んだ人」

「幸せ?」

「その質問、三年前にしてほしかった」

芙由は笑ったが、目の縁に涙がたまった。直紀は、迎えに来てほしかった彼女と、今日ここで結婚する彼女が別人ではないことを思い知った。だからこそ、今さら一行を届けることはできない。

「消して」と芙由が言った。「今日の私に送らないで」

「分かった」

直紀は下書きを削除した。画面には、二人で海へ行った写真が現れる。芙由はそれを見て、「その写真、外して」と頼んだ。

残り三分。直紀はスライドから海の一枚を消し、新郎と笑う写真へ差し替えた。

チャペルの扉が開く音がした。

直紀は受付へ戻り、祝辞の入力欄に「おめでとう」と打って送信した。