空回りする後輪
夜間配達の仕事を失った榎本堅志は、自転車だけを共同ガレージへ返しに来た。そこは元倉庫で、仕事も家もなくした若者が、修理を覚えながら寝泊まりしている。
後輪は空回りし、チェーンが歯車へ噛んでいなかった。沢渡錬司が作業台から顔を上げた。
「置いていくなら直せ」
「もう乗らない」
「次に乗るやつが困る」
二人は一年前、配達代金が消えた件で殴り合った。堅志は錬司が抜いたと思い、錬司は堅志が疑いを押しつけたと思っている。警察にも会社にも、結論は出なかった。
自転車を逆さにし、後輪を外す。軸が曲がり、チェーンには砂が詰まっていた。堅志が布で汚れを落とし、錬司が万力で軸を少しずつ戻す。力をかけすぎれば折れる。
「もう少し」
「これ以上は危ない」
「昔から怖がりだな」
「昔から雑なんだよ」
言葉は刺さったが、手は止めなかった。油を一滴ずつ差し、車輪を回す。最初は引っかかり、三度目で静かに回った。
錬司は試走して戻り、鍵を二本作業台へ置いた。一つはガレージ用、もう一つは自転車用だった。
「どっち持ってく」
「自転車は返すって言った」
「じゃあガレージの方」
堅志は答えず、二本とも机に残して外へ出た。今夜は駅で寝るつもりだった。
雨が降り始め、十分後に戻った。作業台にはガレージの鍵だけがなく、自転車の鍵が残っている。錬司は奥で寝袋を広げ、見もしなかった。
シャッターの内側には、堅志が以前使っていた寝袋が丸めて残っていた。錬司が捨て忘れたのか、わざと置いたのかは分からない。配達会社のロゴは剥がされ、代わりに洗濯済みの札が付いている。堅志はそれを広げる前に、工具を元の輪郭へ戻した。一本でも欠ければ、朝いちばんに錬司が気づく配置だった。
直した車輪を指で弾くと、暗いガレージで長く回り続けた。堅志は止まるまで見届けず、シャッターを内側から半分下ろした。
堅志は自転車をいつものラックへ戻した。ヘルメットの内側にガレージの鍵が入っている。彼はそれをポケットへ入れ、濡れた上着を修理台の横へ掛けた。