空席にも乾杯を

同窓会の円卓に、誰も座らない椅子が一つあった。

幹事は藍子のためだと言った。二十四歳で亡くなった彼女の名札を置き、好きだった桃のソーダを供える。椿は反対できなかった。毎年命日に花を送り、古い音声メッセージを聞く自分が、誰より賛成すべきだと思われていた。

名札の横には、卒業式の写真がある。藍子は窓際で、制服のリボンを曲げたまま笑っていた。

その写真を撮ったあと、二人は些細なことで喧嘩した。椿が「ずっと親友でいよう」と言い、藍子が「ずっとって重い」と笑ったからだ。

「いなくなった人みたいに言わないで」

椿が怒ると、藍子はリボンを直しながら答えた。

「じゃあ、いないときは私の席、誰かに貸して」

当時は縁起でもないと思った。まさか本当に、その言葉だけが残るとは知らなかった。

乾杯の時間になり、全員が空席へグラスを向けた。桃のソーダは未開封の瓶に入ったまま。椿には、それが藍子を思う形ではなく、いなくなった瞬間へ閉じ込める形に見えた。

遅れて到着した同級生が、座る場所を探して入口で立っていた。

椿は名札を手に取り、空席の椅子を引いた。

「ここ、使って」

幹事が驚いた顔をした。椿は桃のソーダを開け、近くの六つのグラスへ少しずつ注いだ。甘い香りが広がり、誰かが「藍子、これ好きだったな」と笑った。思い出話は一つで終わらず、失敗談や悪口まで混じった。

空になった瓶を、椿は供え物に戻さなかった。

帰り道、スマートフォンの一番上に固定していた藍子の音声メッセージを外した。削除はしない。いつでも聞ける場所へ移しただけだ。

代わりに、同窓会へ来られなかった友人へ電話をかける。

「今から少し会える?」

藍子の席を誰かに貸すことは、忘れることではなかった。

電話の向こうで友人が驚き、それから「駅前なら行ける」と答えた。椿は空席だった時間に、今夜の場所と時刻を書き込んだ。

桃色の瓶は、もう供え物より軽かった。

椿は空いた手で、まだ温かい桃色の瓶を抱え、現在の待ち合わせへ歩いた。