空席の拍手

八重樫ひよりは、友人の専門資格の認定式で「ご家族席」と印刷された札を一枚受け取った。友人の家族は来られない。会場へ向かう電車の中で札を折りかけ、卒業式の保護者席を思い出した。

高校三年の冬、父は「絶対に行く」と言った。離婚してから月に一度しか会わなくなっても、卒業式だけは父親らしくすると約束した。

当日、ひよりは壇上へ上がる直前、三列目の端に空席を見つけた。背もたれには自分が渡した席番号の紙が貼られている。父から連絡はなかった。隣の生徒の家族が花束を掲げるたび、空席だけが大きく見えた。

式の途中、一人の老婦人がその席へ座った。後方で立っていた誰かの祖母らしく、足を痛そうにさすっている。係の先生が「そこは指定席です」と立たせようとした。

壇上へ向かう列の中で、ひよりは小さく首を振った。先生には伝わらなかったが、老婦人には見えた。彼女は胸の前で手を合わせ、「ごめんね」と口を動かした。

ひよりの名前が呼ばれた。

証書を受け取り、客席へ礼をすると、老婦人は両手を高く上げて拍手していた。自分の孫へ送るのと同じ、遠慮のない拍手だった。ひよりは思わず笑った。父が来なかった事実は変わらない。知らない人の拍手が、その穴を埋めたわけでもない。ただ、空席だと思っていた場所に、誰かの一日が座ることはあるのだと知った。

式後、老婦人は席番号の紙を返した。

「お父さま、間に合わなかったのね」

ひよりは初めて、「はい」と声にした。

「でも、拍手してくれてありがとうございました」

老婦人は「こちらこそ、座らせてくれて」と笑い、孫の腕につかまって去った。父から《ごめん、仕事だった》と届いたのは、そのあとだった。ひよりはすぐには返信しなかった。数日後、《来られないなら、来られないと先に言ってほしかった》とだけ送った。父との関係はそれで良くも悪くもなったが、空席を空席のまま見つめ続けることはやめられた。

現在、認定式の入口で、係員が「ご家族でいらっしゃいますか」と尋ねた。

ひよりは札を折らずに差し出す。

「家族ではありません。本人に、来てほしいと言われた人です」

会場で友人の名前が呼ばれる。ひよりは昔の老婦人のように、両手を高く上げた。空席を代わりに埋めるためではなく、今日ここにいると自分で選んだ拍手だった。