花嫁を盗む名
花嫁の名を別の女が婚礼衣装の内側に書けば、結婚の誓いはその女へ移る。真夜中までに名を消さなければ、二人の名前は永久に入れ替わる。
侍女のマレッタは、白い裾の裏へシュイラと書いた。
本物の花嫁は、荷車の干し草に隠れて北門へ向かっている。望まぬ婚礼から逃げるには、祭壇で誰かが代わりに誓いを受けなければならなかった。
「顔は違うぞ」
控え室で老司祭が言う。
「ヴェールが深ければ、花婿は見ません」
それは嘘ではなかった。カーデン卿が欲しいのはシュイラ本人ではなく、彼女の名に付いた館と葡萄畑だ。
鐘が鳴り、マレッタは祭壇へ歩いた。裏地の文字が肌へ触れるたび、参列者の目には彼女がシュイラに見える。花婿さえ満足げに手を取った。
誓いの言葉を聞きながら、マレッタは時計を見た。
北門まで一時間。追手が誤りに気づくまで、さらに一時間。真夜中の直前に衣装を脱ぎ、名を洗い落とせば、自分へ戻れる。
けれど宴が始まると、カーデン卿は寝室の鍵を腰へ下げた。花嫁を一人にしないつもりだ。
十一時半。シュイラから託された小鳥が窓へ来た。脚の紙片には一行だけ。
〈門を越えた。海へ行く〉
マレッタは胸を撫で下ろした。今なら正体を明かし、名を消せる。処罰は受けても、自分ではいられる。
そのとき、廊下で兵士が叫んだ。
「北門で逃亡者の足跡を発見!」
カーデン卿が立ち上がる。「花嫁はここにいる。別人だ、捕らえろ」
名を今消せば、逃亡者が本物だと露見する。消さずに真夜中を越せば、シュイラという名はマレッタのものになり、追手は海へ逃げた女をただの名無しと判断する。
時計の針が重なる。
カーデン卿がヴェールを上げ、初めて彼女の顔を見た。驚きが怒りへ変わる。
「お前は誰だ」
マレッタは裏地へ手を伸ばした。水で滲ませれば、まだ間に合う。
遠くで十二の鐘が鳴り始めた。
一つ目。自分の名の最初の文字が、胸の内側から剥がれる。
二つ目。海を走るシュイラの背に、新しい名が宿る。
マレッタは手を下ろした。
「花嫁の名をお尋ねでしたね」
最後の鐘とともに、彼女は友の名で答えた。