蝶の夜に鳴らない雷
「魔力ゼロ。魔法学院の空気を吸う資格もない」
教頭は鳴海冬馬の仮入学証を破り、校門の清掃を命じた。
転移者向けの特別試験で、冬馬だけは魔力計の針を動かせなかった。前世で送電設備を保守していた経験を話しても、杖を持てない者は無知と同じだと決めつけられた。
夜の入学祝賀会が始まると、庭園の照明へ白い蛾が集まり始めた。
一匹なら指先ほどの眠り蛾。低級魔物だ。しかし群れは瞬く間に空を覆い、鱗粉を吸った生徒たちが次々に倒れた。教師は火球を撃つが、上昇気流が毒粉を校舎へ運ぶだけだった。
冬馬は地面に伏せた生徒の呼吸を確かめ、空を見上げた。
群れの中心だけ、羽ばたきの間隔が完全に揃っている。雲に見えた黒い塊は、千匹の蛾を羽毛としてまとう夜魔鳥だった。学院の結界を内側から破るため、低級種を導体にしている。
「雷なら効く!」
教頭が杖を掲げる。
「普通の雷は、落とさないでください」
冬馬は止めた。轟音と熱は眠った生徒まで傷つける。
彼は校庭の避雷針へ指を向けた。
《無音放電》を使ったのは、一度だけだった。
夜空が白くなる。
音はしない。風も起きない。ただ、蛾一匹一匹を結んだ青白い線が巨大な回路を描き、毒だけを焼き切っていく。眠り蛾は灰になり、中心の夜魔鳥は輪郭を一瞬だけ露出させたあと、光の網の中で消滅した。
倒れていた生徒たちは咳をして起き上がる。服も髪も焦げていない。
学院の雷力測定塔は針を一周させ、二周目で爆ぜた。塔の避雷石には、国家級雷術の百万倍という最後の数値だけが焼きつく。
学院長ヴァレリウスが、百段上の観覧席から立ち上がった。
「雷を放ったのではない。空そのものを回路にしたのか」
破られた仮入学証が、教頭の手から落ちる。
生徒たちは冬馬を囲んだが、誰も質問できなかった。さっきまで無魔力の清掃員として避けていた男へ、学院の最高位教師たちが先に道を譲ったからだ。
校門の銘板がひとりでに書き換わる。
新入生歓迎、ではない。
――特別講師着任。
静まり返った庭園で、最初に冬馬へ頭を下げたのは学院長だった。