血染めの軍旗を洗う日
従軍洗濯婦ペルシェナは、兵士の名を襟裏の刺繍で覚えていた。
泥だらけの軍服も、戻らなかった者の外套も、彼女の前では一枚ずつ違う。だが将軍にとって兵は番号であり、洗濯婦はさらに数にも入らなかった。
彼女の技能は布にしか使えない。
【洗濯:布地に染み込んだ汚れを、繊維を傷めず洗い流す。】
敗戦が続いた夜、将軍は本陣の軍旗へ自分の血を塗った。
古い王国法では、血染めの軍旗の下で命令を受けた兵は退却できない。魔法の誓約が軍服の糸まで伝わり、逆らえば心臓が止まる。
翌朝の命令は、敵要塞への総突撃だった。
勝ち目はない。将軍だけは転移陣で逃げる支度を済ませ、兵士たちへ「名誉ある死」を命じた。
角笛が鳴る。
列の先頭で、若い兵の膝が震えていた。逃げたいのに、軍旗から伸びる赤い糸が胸を縛っている。千人分の糸が、血染めの布へ集まっていた。
ペルシェナは洗濯籠を置き、旗竿へ手をかけた。
「無礼者、何をする!」と将軍が怒鳴る。
「この染みは、落とすべき汚れです」
「王国の誓いだぞ!」
「布が望んだ誓いではありません」
彼女は軍旗を引き下ろし、野営地脇の川へ沈めた。
石鹸を一度滑らせると、水が真紅に染まる。二度もむと、兵士の胸を縛る糸が緩む。血だけではない。命令への服従、恐怖につけ込んだ契約、将軍の所有印――布へ染み込ませたすべてが、汚れとして流れ出した。
三度目にすすぐと、軍旗は建国時の白へ戻った。
千人の兵が同時に息を吸う。命令ではなく、自分の意思で吸う最初の息だった。
将軍が「突撃せよ」と叫んでも、もう誰の足も動かなかった。代わりに兵たちは道を開け、逃走用の転移陣を囲む。若い兵が剣を抜き、将軍の肩章だけを切り落とした。
ペルシェナは白い旗を絞り、朝風へ広げた。
それは降伏旗ではない。誰の血にも染められていない、兵士たち自身の旗だった。
水面に浮かんだ職業票から赤い文字が溶け、新たな名だけが布のように白く残る。
【職業「従軍洗濯婦」が上位職「誓布洗祓官」へ書き換えられました】