袖から選ぶ色

藤代楓のクローゼットには、砂浜のような色しかなかった。生成り、薄茶、灰色。元恋人に「派手な色は子どもっぽい」と笑われてから、服を買うときは必ず、目立たないほうを選んだ。別れて二年たつのに、試着室では今も彼の眉の動きを想像する。友人に色物を勧められると、「仕事で使えないから」と断った。仕事の規則には、服の色など一行も書かれていない。別れたあと、一度だけ鮮やかな緑のニットを買ったが、値札を外さず返品した。元恋人に見せる予定などないのに、鏡の前で「似合わない」と彼の声を代わりに再生した。楓の好みは消えたのではなく、反論される前に引っ込む癖を覚えていた。

古着店で冬のコートを探していると、紫の帽子をかぶった女が隣のラックを勢いよく動かした。六十代の沙夜は、楓の腕にかかった三着を見て、「全部、壁の色ね」と言った。

「長く着られる色なんです」

「長く隠れられる色?」

楓が眉をひそめると、沙夜は両手で自分の目を覆った。

「服を目じゃなく、袖で選ぶならどれ?」

「そんな選び方、しません」

「今日だけ。目を閉じて、端から五枚触って、一番離したくない袖を試着する」

沙夜は店員でもないのに、勝手に課題を決めた。理由を訊くと、「私は電車まで七分だから」と答え、赤い手袋を買って去った。

楓は帰ろうとした。だが、腕にかけた薄茶のコートは、去年買ったものとほとんど同じだった。

人の少ないラックの前で目を閉じる。一枚目は硬い革。二枚目は毛足が長く、三枚目は薄い。四枚目の袖は、柔らかいのに重みがあり、手首へ絡むようだった。

目を開ける。深い青のウールコートだった。海より濃く、夜より鮮やかで、店の中でそこだけ温度が違うように見えた。

試着室の鏡では、顔がいつもより白く浮いた。似合うかどうかは、すぐにはわからない。元恋人なら首を傾げるだろう。

楓は薄茶の三着をラックへ戻し、青い袖から手を抜かなかった。そのまま値札を持って、会計の列へ並んだ。