裏返しの白獅子
オルシン・クロフトは、白獅子旗の裏側を敵使へ向けた。
獅子は左を向いている。表から見れば右向き、裏からなら左向き。それだけの違いを、城兵のほとんどは気にしない。
吊り橋の向こうで、敵使が眉を寄せた。
「降伏の印は、獅子の顔をこちらへ向ける約束だった」
「顔なら向いている」
「右向きの獅子だ」
オルシンは旗竿を動かさなかった。
今朝、城代の印を押した降伏状が届いた。日没に白獅子を表向きで掲げれば、敵将だけが橋を渡り、住民を助けるという。だが城代は三年前から右手が震え、署名の末尾を必ず掠らせる。降伏状の字は整いすぎていた。
偽書だと訴えても、飢えた兵は信じなかった。城内では革靴を煮る鍋まで出ている。正しい疑いより、間違った降伏の方が腹には優しかった。オルシン自身も、敵の約束が本物であってほしいと一度だけ思った。だからこそ、確かめる必要があった。そこでオルシンは一つだけ確かめることにした。敵が旗の向きを知っているなら、城内の誰かが偽書の手順を教えたことになる。
背後で財務官が囁いた。
「表へ返せ。住民を殺す気か」
その声だけが、向きを間違えていないと知っていた。
オルシンは振り返らない。
「敵使殿。右向きなら何が起きる」
「橋を渡る」
「左向きなら」
敵使は答えなかった。
財務官が一歩近づく。短剣を袖に隠している。白獅子を表へ返せば、敵の選兵二百が降伏使節を装って橋を渡る。内門の鎖を外す役が、この男なのだろう。
オルシンは旗竿の石突を後ろへ突いた。財務官の足の甲が砕け、短剣が石床へ落ちた。守兵が取り押さえる。
敵使は馬を返しかけた。
「待て」と城壁上の隊長が言った。「偽書の代金を聞いていない」
「腹を空かせた城に、代金など要らぬ」
「なら、なぜ旗の裏表まで決めた」
敵使の顔から笑みが消えた。
外堀の暗がりで、伏せていた敵兵の甲冑が鳴る。約束の向きにならぬため、焦れて動いたのだ。
隊長は剣を抜いた。
「弩兵、橋の下を狙え」
オルシンは白獅子を表へ返さず、裏向きのまま高く掲げた。
「吊り橋を上げろ」
命令と同時に、太い鎖が巻き上がり始めた。