言い切ったところまで
外川晴臣は、願いの店で三度、言い直した。
「椿とやり直したい」
「具体的に」と店員が言う。
「別れをなかったことに」
「本当に?」
本当ではなかった。別れには理由がある。晴臣は謝るべきときに黙り、椿が泣くと「面倒くさい」と言った。なかったことにすれば、同じところまで戻るだけだ。
晴臣は息を吸った。
「椿に、ちゃんと謝って、もう一度……」
言葉を探した瞬間、店員が卓上のベルを鳴らした。
ちん、と澄んだ音がした。
「承りました」
「待ってください。まだ途中です」
「当店では、言い切ったところまでが願いです」
「今のは言い切ってない」
「ですから、そこまでです」
翌朝、椿から連絡が来た。
《駅のロッカーに荷物を入れました。鍵を返して》
晴臣はロッカーへ向かった。扉を開けると、部屋に残していた本や充電器の上に、合鍵が置かれている。
そこへ椿が現れた。
「忘れ物があった」
晴臣の胸が跳ねた。これが願いの時間なのだと分かった。
用意していた言葉はたくさんあった。反省した。変わる。今度こそ大切にする。どれも自分をよく見せるための言葉に思えた。
「ごめん」
それだけを言った。
椿は黙っている。
「泣いてるとき、話を聞かなかった。面倒くさいって言った。自分が悪いのに、君が細かいせいにした。ごめん」
晴臣は、店で言いかけた続きを待った。
もう一度やり直せるはずだ。願いはそこへ続くはずだった。椿が泣きながら笑い、合鍵を戻し、二人で新しい約束をする場面まで、勝手に用意していた。謝罪の先まで相手に演じてもらうつもりだったことに、そのとき気づいた。
だが、椿は合鍵を受け取り、「うん」と答えた。
「謝ってくれて、ありがとう」
それから、帰っていった。
晴臣は追わなかった。
願いは、言い切ったところまでしかかなっていない。
それなのに、不思議と失敗した気がしなかった。
数か月後、晴臣は友人に「あの店で何を願った」と聞かれた。
「謝る機会」
「復縁じゃなくて?」
晴臣は少し考えた。
「たぶん、最初からそこまでだった」
言い切れなかった続きを、願いのせいにしなくなったとき、ようやく別れは終わった。