証人席まで十七歩

午前九時五十二分、粟生田皓は法廷前の廊下で青い傘を受け取った。証人の小楠威吹が、床のタイルを数える。

「証人席まで十七歩ですよ」

十時直前、威吹は必ず殺される。階段では清掃員に化けた男、裏口では護送車の運転手、地下通路では警備員。皓は司法局の時間保全端末で八分間を十回やり直した。

目的は一つ。威吹を十時一秒まで生存させること。彼が証言すれば、大手建設会社の組織的な談合を立証できる。端末の残量は一回。失敗すれば証人も事件も失う。

最後の試行でも威吹は言った。

「証人席まで十七歩ですよ」

皓は初めて、歩かせなかった。青い傘を廊下で開き、その陰で端末から証拠一式を裁判所の公開記録へ送信した。内部メール、送金履歴、殺害指示。未整理の個人情報まで含む、法廷外では公開できない資料だった。

数秒で報道通知が鳴り始める。隠すべき証言は、もう全世界へ複製された。廊下の端にいた清掃員がモップを置き、非常口へ消えた。

裁判長は証拠汚染と守秘義務違反を理由に審理を中止した。談合事件は別件捜査へ移り、この裁判では無罪になる可能性が高い。皓の検察官資格も終わる。

十時一秒。威吹は青い傘の下で生きていた。時間は戻らない。

「僕は証人席へ行かなくていいんですか」

「行かせないために、全部壊しました」

皓は端末を司法警察へ渡した。勝てる裁判ではなく、殺す意味のない世界を選んだのだ。

公開された資料には、保護対象者の住所や下請け社員の名も含まれていた。皓は直ちに削除申請を出したが、複製は止められない。威吹を生かすために、無関係な人々へ危険を渡した可能性がある。皓は記者会見を開かず、懲戒委員会で全責任を認めた。威吹が弁護を申し出ても断った。生存した証人を、今度は自分の資格を救う道具にしたくなかった。

後日、公開資料を見た別の社員が新しい証言を申し出た。皓はその知らせを資格返納の窓口で聞いた。事件が続くとしても、自分が指揮する事件ではなかった。

誰もいなくなった法廷で、青い傘だけが開いたままだった。先端から落ちた一滴が、証人席までの十七枚目のタイルを濡らした。