証言は誰のもの
水守碧人は、国境を越えた夜を売って大学へ進んだ。
十三歳のとき、故郷の町は内戦で焼かれた。母と歩いた雪道、検問所の銃声、川を渡る途中で離れた妹。その記憶には高値がついた。報道機関や研究所が、難民の一次体験を求めていたからだ。
独占売却後、碧人の中から夜の細部は消えた。忘れることで眠れる夜も増えた。母がなぜ水を怖がるのか、妹の名を聞くとなぜ胸が苦しいのか分からなくなった。だが奨学金なしで法学部を卒業し、自分と同じ境遇の人を守る難民支援の弁護士になれた。
十年後、故国の軍司令官を裁く国際法廷から証人依頼が届いた。碧人は唯一、生き残った検問通過者だった。
証言席で検察官が尋ねた。
「兵士は少女を連行しましたか」
碧人には答えられなかった。記憶の所有権は、購入した映像企業にあった。法廷で再生するには巨額の使用料が必要で、企業は新作配信前の公開を拒否した。
司令官側の弁護士は言った。
「本人が覚えていない出来事を、事実と呼べるでしょうか」
裁判は揺れた。碧人は自分の過去を買い戻そうとしたが、企業AIは価格を提示した。大学費用の百倍だった。彼が有名な証人になったことで商品価値が上がっていた。
母は、売却時に残していた音声を渡した。
『碧人、忘れて生きなさい。でも、忘れた人まで嘘つきにされる日が来たら、身体を信じなさい』
翌日の法廷で、碧人は記憶の内容を語らなかった。代わりに、川の音を聞くと右足が動かなくなること、妹と同じ年頃の少女を見ると息が止まること、母が今も浴槽に入れないことを証言した。
「所有権を売ったのは映像です。傷まで売った覚えはありません」
判決は有罪だった。決定打は別の証拠だったが、法廷は記憶取引の独占条項を人権侵害と認定した。
返還された記憶を、碧人はすぐには再生しなかった。母と川辺に立ち、まず現在の水音を聞いた。
過去を取り戻すことより、誰にも買えない自分の声で、失った妹の存在をもう一度引き受けたかった。