評価シートに書いた遠征
瀬尾凪沙は、半期評価シートの「業務外で身につけた能力」という欄を、毎回空白にしていた。本当は、推している劇団〈白環座〉の全国公演を追うため、交通費と宿泊費を年間予算に収め、発売日を管理し、同行者十人の希望まで調整している。
だがそれを能力と書けば、二十代後半にもなって遊びに熱中している人と思われそうだった。会社では休日を「家で休んだ」と言い、遠征翌日も疲れを見せない。推しの公演で磨いた段取り力を、仕事では生まれつき几帳面な性格のように扱っていた。
面談で、事業推進部長の古賀美津枝が空欄を指した。
「ここ、本当に何もありませんか」
「特には」
凪沙の鞄から、折り畳んだ遠征行程表が落ちた。色分けされた新幹線、劇場、ホテル、食事予約。表題には〈白環座・冬公演十五都市〉とある。
美津枝は拾い、勝手に読まず裏返して渡した。その手帳からも、同じ劇団のロゴ入りしおりがのぞいた。
「古賀部長も?」
「主演の眞白推し。私は三都市だけ」
凪沙は反射的に「私は十五都市も行ってしまって」と謝った。
美津枝は眉を寄せた。
「金額や回数を上司に申告する必要はありません。家計や仕事を壊していないなら、私が評価する部分ではない」
そう言って、評価シートへ視線を戻す。
「ただ、この表を作れる人が『何もない』と書くのは不正確です。複数人の日程調整、予算管理、交通障害時の代替案。先月の展示会運営で、あなたがやったことと同じでしょう」
凪沙は初めて、趣味から仕事へ持ち込んだものを、盗品のように隠していたと気づいた。
面談室で文章を書き直す。
〈年間複数回の観劇遠征における予算・日程・同行者調整。変更時の代替案作成〉
劇団名も推しの名も書かなかった。それは恥じたからではなく、評価に不要だからだ。
美津枝は内容を読み、「具体的でよいです」と承認した。帰り際、二人とも公演の感想は話さなかった。
凪沙は空欄を埋めた自分の名前を見た。仕事の自分と遠征する自分の間にあった線が、消えたのではなく、一本の経歴としてつながっていた。