買わない牛乳
理世は、実家へ帰るたびに用事を増やした。
母から頼まれなくても、洗剤の残量を見て買い足し、冷蔵庫の期限を確認し、父の薬を曜日ごとに分ける。家にいるだけで休んでいるように見えるのが怖かった。社会人になって一人暮らしを始めても、娘でいる時間には働いた証拠が必要だった。
連休二日目の朝、理世は居間のこたつで目を覚ました。昨夜遅くまで母とテレビを見て、そのまま眠ってしまったらしい。台所から食器の音がする。時計は九時半。休みを寝過ごしただけなのに、胸が急いだ。
起き上がると、テーブルに母の字で買い物メモが置いてあった。
牛乳、豆腐、電池。
頼まれたわけではない。母自身の買い物メモだろう。それでも理世は、早く行ってこなければと思った。自分が家で寝ているあいだ、母だけが家事をしている。その構図が耐えられなかった。
顔も洗わず上着を羽織る。財布を探していると、母が台所から出てきた。
「どこ行くの」
理世はメモを持ち上げた。
「これ、買ってくる」
「午後でいいよ」
それだけ言って、母はまた台所へ戻った。休んでいなさいとも、無理しないでとも言わない。理世の中には、断る相手すらいなかった。
玄関で靴を履く。外は雨だった。傘立てからビニール傘を抜いたとき、こたつの上に置きっぱなしの毛布が見えた。体にはまだ眠気が残っている。前の週は残業続きで、帰宅してもコンビニの弁当を食べるだけだった。実家に来たのは休むためだったはずなのに、休んでいる姿を見せないことばかり考えている。
理世は靴を脱いだ。買い物メモを冷蔵庫へ磁石で留め、財布を鞄に戻す。台所の母へ声をかける代わりに、こたつへ入り直した。何も宣言しなければ、怠けていると思われるかもしれない。その不安を説明で消すことも、理世はやめた。
母が味噌汁を運んできて、テーブルへ置いた。
「牛乳、切れてたね」
「うん」
「じゃあ、昼から行く」
会話はそれで終わった。
理世は味噌汁を飲み、また毛布を肩まで引き上げた。買い物へ行かなかったぶん、午後に倍の用事をする予定も立てなかった。雨音を聞きながら目を閉じる。
冷蔵庫には牛乳がない。だからといって、朝の理世まで役に立たないわけではない。まだそう思い切れなくても、少なくとも今日は、証明のために牛乳を買いに行かなかった。