身体ひとつぶんの床

早瀬すずめが掃除を始めようとしたのは、土曜の午後三時半だった。

正確には、午前九時にも始めようとしていた。掃除機を部屋の中央へ出し、フローリング用のシートを机に置き、スマートフォンのメモに〈床、風呂、台所、トイレ〉と書いた。そのあとベッドへ腰掛け、次に気づいたときには六時間が過ぎていた。

カーテンの隙間から入る西日が、床の埃だけを丁寧に照らしていた。髪の毛、菓子袋の切れ端、昨日脱いだ黒い靴下。寝ている間にも部屋が汚れたように見える。

すずめは掃除機のスイッチを入れた。低い音が鳴った直後、コードが椅子の脚に絡んだ。ほどくためにしゃがむと、ベッドの下から期限の切れたクーポンと、片方だけのイヤリングが出てきた。

掃除は、始めるたびに別の用事を連れてくる。イヤリングの相方を探し、クーポンを捨て、椅子を動かし、床を全部きれいにする。想像の中で部屋が広がりすぎ、すずめは掃除機を止めた。

代わりに、フローリングシートを一枚だけ取った。ベッドの横、自分が立つ場所から、台所へ三歩進むところまで拭く。灰色の埃がシートへ集まり、床に細い道ができた。

途中にあった靴下は洗濯かごへ、菓子袋はごみ箱へ。イヤリングは机の小皿へ置いた。相方は探さない。風呂も台所もトイレも、メモの中に残した。

拭いた道を戻り、すずめはベッドの脇へ裸足で立った。足の裏にざらつきがない。きれいになったのは、身体ひとつが通れる幅だけだった。

メモの四項目には、どれにもチェックがつかなかった。すずめは〈床〉へ半分だけ印をつけようとして、指を止める。半分の記号を考えることまで家事にしたくなかった。メモを閉じると、画面から部屋の採点表が消え、残ったのは足元の細い光沢だけだった。

西日が消えると、拭いた場所と拭いていない場所の境目も見えにくくなった。それでも裸足は、どこまできれいにしたかを覚えていた。

部屋全体を許せなくても、今夜歩く場所はある。すずめは掃除機のコードを巻かずに壁へ寄せ、きれいな一歩目から布団へ戻った。