転職報告を保存しない

柚葉は夕食の親子丼を食べながら、箸を持つ手でスマートフォンをスクロールしていた。冷めた卵が容器の隅に寄り、ご飯は少し固くなっている。

前の職場の同期が、転職先のオフィスを背景に笑っていた。〈ずっと挑戦したかった業界へ。環境を変える決断をしてよかった〉。窓の大きな職場で、首から下げた新しい社員証まで明るく見えた。

柚葉は三年前から同じ会社にいる。仕事が好きなわけではない。辞めたいと思う日は月に何度もある。転職サイトのアプリも入れてあるが、職務経歴書は「担当業務」の途中で止まっていた。

投稿の下には、〈行動した人から人生が変わる〉という別の広告が出た。アルゴリズムまで、柚葉が動いていないことを知っているようだった。

親子丼の鶏肉を噛みながら、今日の自分を思い出す。新人が間違えた請求書を見つけ、取引先へ出る前に修正した。誰にも褒められず、報告書にも残らない。けれど会社を辞めていないからできた仕事だった。

残ることが勇気だとは思わない。惰性も怖さもある。ただ、転職しない今月を、何もしていない月と呼ばなくてもいい気がした。

柚葉は同期の投稿にハートを押した。羨ましさは消えなかった。窓の大きなオフィスも、新しい肩書も、やはり眩しい。

いつもの癖で投稿を保存しかけた。刺激を受けた投稿を集めるフォルダには、転職、資格、朝活の画像が百件以上ある。保存するたび、あとで変わる自分に借金をしているようだった。

今夜は保存せず、画面を閉じた。

職務経歴書を開くこともしなかった。その代わり、明日の弁当に回すつもりだった親子丼の残りを食べ切った。空の容器を洗うと、固まった卵が水で少しずつ剥がれた。水切り籠が小さく鳴った。

転職するかどうかは、今日決めなくていい。残る自分も、動けない自分も、今夜だけ同じ椅子に座らせておく。

柚葉は洗った容器を伏せ、求人アプリの通知を朝まで切った。人生は変わらなかったが、夕食は終わった。それで今日を閉じることにした。