退職時に返す腕
茶木多恵が物流工場へ入ったとき、会社は両腕と腰を無償で機械化してくれた。契約書には小さく、「設備は雇用主に帰属し、退職時に返却」とあった。
二十六年間、多恵は一日二万個の荷物を持ち上げた。腕は壊れるたび更新され、視界には作業速度と順位が表示された。家へ帰っても指は梱包の形に閉じ、孫を抱くときだけ出力を最低にした。
六十歳の誕生日、配置管理AIが退職を勧告した。会社は以前の経営者から何度も変わり、壁の標語も「人を大切に」から「設備効率を最大化」へ変わっていた。多恵の勤続年数だけは、どの本社にも引き継がれなかった。
「身体設備の減価償却が完了しました。明日、回収します」
回収後は福祉用の簡易腕が支給される。指は三本、耐荷重は五キロ。多恵は契約を知っていた。それでも、自分の皺より長く付き合った腕を、会社の備品と言われるとは思わなかった。
同僚たちは目をそらした。全員、同じ契約だったからだ。若い作業員は、抗議すれば腕の更新を止められると怯えた。多恵自身も、孫を抱けない身体へ戻るのが怖かった。
最後の勤務で、多恵は荷物を一つ持ち上げず、腕の記録を投影した。二十六年分の重量、故障、夜勤、怪我。機械の内側には、会社が削除していた痛覚ログも残っていた。
「設備なら、これを動かした時間も会社のものですか」
管理AIは回答できなかった。
多恵は搬送ラインの前に立った。同僚が一人、また一人と作業を止め、腕のログを開いた。工場は十二分停止した。損失額が、全員の買い取り費用を上回ったところで、本社は所有権の譲渡に応じた。
退職後、多恵は孫と市民農園へ行った。高性能の指は土を細かく感じられず、苗を二本折った。
「おばあちゃん、下手だね」
「荷物には根っこがなかったからね」
多恵は笑い、出力をさらに落とした。会社のために速く動く腕だったが、これから何を持つかは自分で決められる。
初めて収穫した小さなトマトを、彼女は壊さないよう両手で包んだ。