遠足の底
保育士の透子は、遠足のたびに子どもたちの空の弁当箱を確かめる。
食べ残しを叱るためではない。蓋がきちんと閉まっているか、汁が漏れそうでないかを見る。色も形も違う箱には、それぞれの家の昼が詰まっている。
河川敷での遠足の日、五歳の柚が、食べ終わった弁当箱をなかなか片づけなかった。
「まだ何かある?」
透子が訊くと、柚は箱の底を見せた。ご飯粒が三つ残っている。
「お母さん、ぜんぶ食べたら、底に絵があるって」
透明な仕切りを外すと、底に小さな猫の絵が現れた。ご飯粒の一つが猫の鼻にくっついている。柚は指で取って食べた。
「見えた」
その笑顔に、透子は自分の幼い頃の弁当箱を思い出した。底には赤い傘の絵があり、苦手な人参を食べなければ見えなかった。母はそれを知っていて、いつも人参を最後に置いた。
午後、子どもたちは土手を転がり、草の匂いを制服につけた。帰りのバスでは、弁当箱同士が鞄の中でかたかた鳴る。
園へ戻ると、透子の机に自分の弁当が残っていた。忙しくて食べ損ねたのだ。
夕方、誰もいない保育室で蓋を開ける。朝詰めたおにぎりは少し硬く、唐揚げの衣は柔らかくなっていた。それでも、窓から入る西日の中で食べると、遠足の続きのようだった。
最後の一口を食べ、底を見る。大人用の簡素な箱には、絵などない。代わりに磨かれた銀色へ、透子の顔と、背後に干された小さな帽子が映った。
空箱からは海苔と草の匂いがした。透子は蓋を閉め、子どもたちと同じように、鞄のいちばん上へしまった。
家で箱を洗うと、底にほんの少し草がついていた。河川敷で柚が載せたものかもしれない。透子は流さず指で取り、窓辺の鉢へ置いた。次の朝、空の箱には洗剤の匂いしかない。それでも蓋を閉めると、遠足の日の陽射しと、子どもたちの弁当が鳴る音がよみがえった。
翌日、柚は猫の底をもう一度見せに来た。洗われた箱には何も入っていないのに、顔を近づけて「昨日の卵の匂い」と言う。透子も嗅いでみると、洗剤の奥にほんの少し甘い香りが残っていた。