釣り銭口の銀貨
十七時五十五分。水篠圭梧が自販機からレモンソーダを取ると、釣り銭口で銀色の硬貨が鳴った。
昭和十二年の試鋳貨。向かいの古銭店なら百万円で買う、と先週の番組で見た。店は十八時閉店。借金の督促期限も今日だった。
自販機が明るい声で言う。
「商品をお取りください」
圭梧は走った。横断歩道、工事柵、古銭店の階段。十八時の札が裏返る直前、店主へ銀貨を差し出す。
その瞬間、十七時五十五分。レモンソーダがまた落ちた。
二周目は信号を無視した。三周目は自転車を奪う寸前までいった。四周目は店へ電話し、入口で待たせた。どれも鑑定用のルーペが銀貨へ近づくと、釣り銭口の音に戻る。
「商品をお取りください」
五周目、圭梧は硬貨の縁に細い数字を見つけた。
《31》
次の周では《30》。その次は《29》。スマホの健康保険アプリに表示される予測余命も、一年ずつ減っていた。
この銀貨は五分を返す代わりに、一年を取る。失われるのは老後からとは限らない。アプリの履歴では、三十代の健康年数、四十代の活動年数と、現在に近い順から削られていた。
圭梧は笑った。百万円なら十年でも安い。借金を返せば配送車を買い戻せる。人生はそこからやり直せる。
十二周目、最短経路を完成させた。工事柵の隙間を抜け、赤信号の車列を縫い、十七時五十九分四十六秒で店内へ入る。残る予測余命は十九年。
店主がルーペを上げる。
「これは珍しい。だが、縁の数字は何だ?」
圭梧は銀貨を引いた。売れれば百万円。売れなければ督促、車の差押え、仕事の終了。どちらも目の前にある。
十三周目、彼は店へ向かわなかった。
レモンソーダを開け、銀貨を側溝の格子へ落とす。硬貨は一度だけ光り、雨水の暗がりへ消えた。
十八時。古銭店の札が「閉店」へ変わり、時計は十八時一分へ進む。予測余命は十九年のまま戻らなかった。
督促の着信が鳴る。圭梧は出ないまま、ぬるいソーダを飲んだ。失った十二年がどんな年だったのか分からない。それでも次の五分だけは、誰にも釣り銭として渡さなかった。