閉館後の山吹
柏瀬瑞祈は、美術館の保存修復室で毎週水曜、山吹を一本見つけた。
閉館後、机の洗浄瓶のそばに置かれている。窓のない地下室で、黄色だけが小さく灯っていた。薬品の匂いの中で、そこだけ庭の空気がした。名札も手紙もない。
候補は、展示責任者の久留島、夜間巡回の堂前、庭園を手入れする桑折。三人とも閉館後に地下へ来られた。
瑞祈は最初の花を処分できず、薬品棚の空瓶へ挿した。二本、三本と増えるたび、無記名の慰労なのか、口止めなのか分からなくなった。契約更新の面談は翌月に迫り、自分の判断が記録に残らなければ、この仕事を続ける意味まで薄れる気がしていた。
瑞祈は、花を包む紙が新企画展のラベル校正紙だと気づいた。余白には赤鉛筆で「再検討」と書かれている。茎には、掛け軸の処置に使う青い定着剤が一点だけ付着していた。そして花が現れるのは、久留島が理事会へ報告を出す水曜の夜だった。
三か月前、瑞祈は収蔵庫の湿度上昇を指摘した。久留島は計器の誤差だとして展示準備を優先させたが、瑞祈は独断で作品を移した。翌朝、配管から水が漏れた。掛け軸は救われたのに、最初の報告書には「責任者の判断で退避」とだけ記され、瑞祈の名はなかった。
次の水曜、瑞祈は山吹の横に校正紙を置いた。
「『再検討』は、いつ終わりますか」
背後で久留島が足を止めた。
彼は誤りに気づいた日に訂正報告を出していた。だが理事会の承認前に口外できず、瑞祈には言い訳に聞こえるのが怖かった。山吹は、彼女が以前「地下には黄色が足りません」と冗談を言ったのを覚えていて、庭から桑折の許可を得て切ったものだった。
「謝罪を匿名にするのは、ずるいですね」
「はい。でも、花がなければ、私は辞めていました」
その夜、訂正版が承認された。第一発見者と退避判断者の欄に、柏瀬瑞祈と明記されていた。
自販機のココアを二本買い、一本を久留島へ渡す。瑞祈は山吹の前で缶を開け、一口飲んだ。
「次の訂正は、言葉でお願いします」