雨の日の診察室
歯科医院の診察室二番に、同じ時刻の予約が二つ入っていた。
十八時半、私――杠葉沙都と、「犬飼英里」。受付の魚住さんは入力ミスを謝り、先に座っていた犬飼さんはすぐ譲ろうとした。担当の歯科衛生士、此花さんはまだ前の患者を診ている。
私は三か月前、治療中に気分が悪くなって以来、予約を二度キャンセルしていた。今日も雨音を聞くだけで逃げたくなる。犬飼さんは同じビルで働く顔見知りだが、話したことはほとんどない。
予約を操作できる魚住さん、犬飼さん、此花さんが容疑者になる。けれど、待合室には分かりやすい手掛かりが三つあった。
犬飼さんの問診票は白紙。彼女の鞄から、私が昼休みに使う柚子味の飴がのぞいている。そして予約の備考欄には「椅子を起こしたまま説明から」と、前回私が此花さんに頼んだ言葉が書かれていた。
「犬飼さん、自分の治療じゃないんですね」
彼女は観念して、細い肩をすくめた。
前回、廊下でしゃがみ込んだ私に水をくれたのが犬飼さんだった。名乗らず去ったので、私は顔を覚えていなかった。今日、エレベーターで私が予約確認画面を見ては閉じるのを見かけ、また帰ってしまうと思ったという。
一人で診察室へ入るのが怖いなら、同じ時間に予約した人がいれば待合室までは来られるかもしれない。そう考え、受付で事情を話し、自分の名を入れてもらった。ただし私に知られれば気を遣わせるから、直前まで黙っていた。
柚子飴は、あの日私が落としたものを拾い、同じ商品を探して買ったのだという。
「勝手に予約を重ねてすみません。私も昔、歯医者から三回逃げたので」
魚住さんは苦笑した。
「二重予約を許したのは私です。今日は付き添い席を一つ追加した、ということで」
此花さんが呼びに来た。診察室の椅子は、倒さずに待っている。
犬飼さんは入口まで来て、柚子飴を一つ私の手に置いた。
「終わったら、雨宿りにお茶しませんか」
私は飴を頬へ押し込んだ。
「その予約は、二人分でお願いします」