雨天決行の終点
雨量計が基準値を超えた朝、五百旗頭結実はクレーンの主電源を切った。
「勝手に止めるな。納期が一日遅れたら、お前の給料から引くぞ」
斑目景一社長はヘルメットもかぶらず、足場の下から怒鳴った。
結実は現場責任者だった。強風警報の日も「雨天決行」の一言で作業を続けさせられ、安全書類には晴天時の数値を書けと命じられていた。その朝、現場では足場のシートが大きく膨らみ、吊り荷が数センチ横へ振れていた。結実たちは資材を固定し、周辺道路を確認してから止めた。反抗ではなく、事故が起きる一歩手前で踏みとどまったのだ。
「本日は中止です」
「お前一人が抜けても現場は動く」
結実が振り返ると、鉄筋、鳶、電気、配管の各班が工具を下ろした。下請け六社も、斑目建設との契約解除通知を提出する。作業員は百人近くいたが、誰一人として斑目の合図では工具を持ち直さなかった。安全を軽んじた命令には、もう命令する力がなかった。結実たちは前夜、元請けへ改ざん指示の音声と気象記録を送っていた。
黒い車から元請け会社の工事本部長が降りてきた。
「本日付で御社を現場から外します。工事は五百旗頭さんを責任者とする新会社へ再発注します」
斑目は雨の中で契約書を振り回した。
「途中で業者を替えれば損害が出るぞ」
「安全を無視して事故が出るほうが損害です」
そこへ労働基準監督署の職員と警察の車両が到着した。先月の資材落下事故について、報告書と現場映像を確認するという。斑目が「作業員の不注意」と書いた時刻、本人は作業続行を命じるメッセージを送っていた。
元請けは違約金を請求し、業界団体は加盟資格の停止を通知した。銀行も、受注残を担保にしていた融資の見直しを伝える。
斑目は結実へ近づいた。
「条件を言え。役員にしてやる」
結実は新しい会社の安全旗を広げた。
「条件は一つです。あなたが現場にいないこと」
本部長が再発注書へ署名し、監督署の職員が斑目の事務所へ立入禁止のテープを張った。
クレーンは止まったままだったが、その瞬間、工事だけは安全に進み、斑目の会社だけが終点へ着いた。