雨宿りは空を見ない

 槇尾恭平は、気象データを解析する会社で働いている。

 降水確率、気圧配置、風速。画面を見れば明日の空をある程度読めるのに、自分の予定はいつも決められなかった。

 休みの日も雨が心配で遠出せず、晴れれば洗濯を優先し、結局どこにも行かない。

 保護犬の雨宿りを迎えてから、散歩だけは天気に関係なく外へ出た。

 茶色い耳の垂れた雑種で、歩いている間だけ心の声が聞こえる。

『右』

「公園は左」

『右の電柱が気になる』

「予定では川沿い」

『予定は匂わない』

 雨宿りはいつも、自分の鼻を信じた。

 梅雨の土曜日、予報は午後から雨だった。

 恭平は朝のうちに長い散歩を済ませようとしたが、雨宿りは近所の古い商店街から動かない。軒下の植木鉢、魚屋の氷、パン屋の排気口を順番に嗅ぐ。

「降る前に帰りたいんだけど」

『まだ降っていない』

「四十分後には降る」

『四十分後の鼻は、四十分後に考える』

 パン屋の前で、雨が落ち始めた。

 恭平はため息をつき、持ってきた折り畳み傘を開いた。雨宿りは軒下から出て、水たまりへ前足を入れる。

「濡れるよ」

『濡れたら拭けばいい』

「風邪をひいたら?」

『温めればいい』

「簡単に言うな」

『人間は、起きていないことを先に濡らす』

 雨宿りは尾を振り、歩き出した。

 仕方なく恭平も続く。雨は予報より弱く、街路樹の葉を細かく鳴らした。濡れた土とアスファルトの匂いが立ち、パン屋からは焼きたての小麦の香りが流れてくる。

 恭平は食パンを一斤買い、二人でゆっくり帰った。

 玄関で雨宿りをタオルに包む。

『ほら、拭いた』

「自分でやったみたいに言うな」

 犬の毛は湿って温かく、タオルから石鹸の匂いがした。

 恭平は生姜紅茶を淹れ、買ったパンを厚く切って焼いた。

 窓の外では、予報どおり雨が続いている。けれど今日は、外れなかったことも、予定どおり帰れなかったことも気にならなかった。

 足元で雨宿りが眠り、鼻先だけを恭平の踵へつけている。

「明日は晴れるかな」

『明日の散歩で分かる』

 それは予報としては役に立たない。

 けれど恭平は笑い、バターの溶けたパンを噛んだ。雨音と生姜の香りに包まれた部屋では、今の天気だけで十分だった。