雨羽の妖精と雲スポンジ
激しい雨の日、菓子店〈小麦の塔〉のドアベルが、誰もいないのに鳴った。
店主メーヴが足元を見ると、親指ほどの妖精ティルナが、濡れた羽を引きずっていた。羽粉は泥に変わり、飛ぼうとするたび床へ転がる。
「今夜までに森へ戻らないと、羽の色が抜けるの」
妖精の羽は一晩濡れたままだと透明になり、二度と風をつかめないという。雨は朝まで止む気配がない。火で乾かせば薄い羽が縮む。ティルナは小さな拳で床を叩いた。
背負っていた花粉袋も雨を吸い、体重より重くなっている。森では今夜、季節を渡す花へ最後の粉を届ける役目が待っていた。遅れれば一輪だけ春に咲けない。たった一輪と笑う者もいるが、その花を担当するティルナには、世界で一つしかない約束だった。
「たった一枚の葉っぱも越えられないなんて」
メーヴは焼き上がったばかりの丸いスポンジケーキを一切れ切った。妖精用に角砂糖ほどの大きさへ整え、白い雲クリームをのせる。
「雨吸い雲スポンジ。食べる前に、羽で一度だけ挟んでください」
ティルナが両翼で菓子を包むと、しゅう、と雨水が吸い込まれた。スポンジは青く膨らみ、重かった羽は薄桃色の光を取り戻す。
「食べてもいい?」
「商品ですから」
彼女は両手で抱えてかじった。ふわりとした生地が口で消え、雲クリームがぱちんと弾ける。その瞬間、羽から銀の粉が舞った。
ティルナは椅子の高さまで浮き、次に照明の周りを一周した。さっきまで床で転がっていたとは思えない速さだった。
「飛べる! 雨の中でも!」
窓を少し開けると、彼女は風に乗り、また戻ってきた。支払いに小さな金貨を一枚置こうとしたが、軽すぎて転がる。代わりに羽を一度振り、瓶いっぱいの香る金粉を落とした。
「これで足りる?」
「百切れ分あります」
「じゃあ残りは予約。森のみんな、雨の日はここへ来るから」
ティルナは雨粒を跳ね返しながら窓の外へ飛び去った。
メーヴが青く膨らんだ皿を下げた途端、ちりん、と今度は確かな重さでドアベルが鳴った。