霧が石壁を通った夜

国境砦から聖女オディレーヌが追放された夜、白い霧が石壁を通り抜けた。

門は閉じていた。窓も矢狭間も塞いでいた。それなのに霧は床の継ぎ目から湧き、兵舎へ薄く広がった。

吸い込んだ兵士は、隣の仲間を敵兵だと思い込んだ。剣が抜かれ、食堂だけで十二人が負傷した。砦主ザフレドが号令をかけるほど、声は魔物の咆哮に聞こえ、混乱は大きくなる。

「城壁結界は正常だ!」

魔術師は外側の結界石を示した。矢も獣も通さない。だが霧は石そのものではなく、石と石の間を抜けていた。

オディレーヌが毎夕していたのは、砦全体を守る大結界ではない。千二百本ある目地へ、指先ほどの聖印を順番に置く作業だった。古い砦は寒暖で石が動く。昨日塞いだ隙間が、今日は別の場所に開く。そのため彼女は毎日壁を歩いた。

兵はそれを散歩と呼び、砦主は「祈る暇があるなら矢を運べ」と国外へ追い出した。

夜明けまでに霧は食料庫へも入り、兵糧へ幻覚毒が移った。砦は敵の攻撃を一度も受けず、自ら門を開けて退避した。

兵は目地へ松脂を詰めた。霧は止まったが、焚火の熱で脂が溶け、甘い煙となって兵舎へ流れた。幻覚を見た弓兵が味方の旗を射抜き、砦の救難信号まで敵襲の合図と取り違えられた。応援軍は門前まで来て、入ることを拒んだ。

砦の兵は朝になっても互いの顔を信用できず、武器庫の鍵を誰にも渡せなかった。敵が来なくても、見張り台には立てなかった。

山腹の修道院では、オディレーヌが回廊のひびへ小さな印を置いていた。院長ミュールが、谷から上がる霧を見下ろす。

「昨年は三人が夢遊して崖へ向かった。今夜は鐘番まで眠れた」

修道士たちは彼女の巡回路へ灯りを置き、冬には二人の助手を付けると決めた。祈りを奇跡ではなく、必要な保守作業として扱った。

昼、砦の伝令が息を切らして到着した。

「砦主命令だ。直ちに戻り、壁を封じよ。待遇は副官級とする」

オディレーヌは次のひびへ聖印を置いた。

「国境砦の目地封印契約は、追放門が閉じた時点で終了しました」