青い風車についていかない
九歳の一颯は、祭囃子のただ中で目を覚ました。
金魚すくいの水、焼きとうもろこしの匂い、人波の向こうで揺れる青い風車。
その風車を持った男が、一颯の肩へ手を置いた。
「お母さんが倒れた。すぐ来て」
前の人生と同じ低い声だった。
幼い一颯は母の名を出された途端、男についていった。裏路地で車へ押し込まれ、三日後に保護されたが、恐怖で家から出られなくなった。男は捕まらず、別の子もさらった。一颯は助かったあとも青い風車を見るたび動けなくなり、母は仕事を辞めて付き添った。それでも翌年、同じ男に連れ去られた子は戻らなかった。
母は何度も言った。「本当に私の知り合いなら、合言葉を知っている」と。合言葉は、一颯が選んだ金魚の名前だった。
けれどあの日、一颯は聞かなかった。
今度は男の手を振り払う。
「合言葉は?」
男の目が細くなる。
「時間がない。お母さんが危ないんだ」
「合言葉を言って」
青い風車が苛立ったように回った。
男は一颯の腕をつかむ。前なら声が出なかった。
一颯は腹の底から叫んだ。
「知らない人です! 助けて!」
祭囃子より大きな声ではなかった。それでも、近くの露店主が鉄板の火を止め、警備員が振り返る。
男が一颯を引きずろうとした瞬間、一颯は自分から地面に座り込んだ。未来で防犯教室の映像を何度も見た。抱え上げにくくするため、手足を屋台の柱へ絡める。
青い風車が落ちる。
警備員と露店主が男を取り押さえた。男の鞄から、別の子供の写真と結束帯が出る。
一颯は祭り本部へ連れていかれた。
前の人生では、この時刻に母の端末へ「お子様が見つかりません」という緊急通知が送られた。
今回は一颯の端末が先に鳴る。
画面には母からの着信。
「一颯? どこ?」
「本部。知らない人に声をかけられた。でも、ついていかなかった」
駆けつけた母は一颯を抱きしめる。前の人生では泣きながら「どうしてついていったの」と言った人が、震える声で初めて違う言葉をくれた。
「怖かったのに、自分で選べたね。よく戻ってきた」