青い首輪の行き先

野乃の母から電話が来たのは、ペット可物件の検索画面を閉じた直後だった。

「引っ越し先、犬がだめなの。ハク、そっちで飼えない?」

十二歳の白い雑種犬。野乃が高校生のとき拾い、家を出てからは両親が世話をしていた。母は「あなたの犬だったでしょう」と言った。

画面には二件の物件が残っていた。今より家賃が二万高いペット可の一階と、今の部屋を更新するための申込書。犬を迎えれば、朝晩の散歩と通院が増える。迎えなければ、老犬を見捨てた人になる気がした。

「考えさせて」と言うと、母は今週中に、と期限を置いた。

野乃は二十九歳を前に、責任を引き受ける人になりたかった。けれど、責任を引き受けることと、自分だけで抱えることは違う。ハクが階段を上れないことも、留守番が苦手なことも知っているからこそ、勢いで「飼う」と言えなかった。

翌日、野乃は老犬の預かりボランティアへ問い合わせ、母を含む三者のメッセージ画面で条件を確かめた。近郊の夫婦が、庭のある家で看取りまで受け入れると言った。医療費の一部は野乃が負担できる。

母から「本当に他人に渡すの?」とメッセージが来た。

野乃は青い首輪と、ペット可物件の銀色の鍵の写真を並べた。鍵を選べば、よい娘に見える。首輪を送れば、ハクの毎日を自分の見栄から切り離せる。

「うん。私のところより、その家がいい。費用は払う」

母は納得しなかった。

電話のあと、野乃は物件の申込画面を閉じ、預かり契約書に署名した。青い首輪を洗い、乾かして箱へ入れる。

自分で飼わないという選択は、世話をしないことではない。そう言い切れるかは、これから払い続ける時間で証明するしかなかった。

預かり先から最初の写真が届いた。ハクは知らない縁側で眠り、青い首輪の名札だけがこちらを向いていた。野乃がいなくても穏やかな顔をしていることに、安心と嫉妬が同時に湧いた。契約書には、面会は事前予約制、返還要求は原則不可、とある。野乃は医療費の自動振替を設定し、次の面会希望日を送った。会いたいときに連れ戻せない不自由まで含めて、ハクの暮らしを選んだ責任にした。