風除室の半月

 椿希が店へ入るたび、風除室の鏡に顔が二つ映った。

 外側の自動ドアが閉まりきる前に内側が開くと、ガラスと銀色の防犯ミラーが重なり、片方の顔だけが細長く歪む。眠れない夜には、その半分の顔のほうが本物に見えた。

 午前一時五十八分。

 椿希はミントガムを一つ買うためだけに来た。

 以前はこの時間になると電話があった。相手の声を聞きながら、何でもない話をして、眠くなったほうが先に切った。最後の電話から三週間。着信履歴は新しい通知に押され、画面の下へ沈んでいる。

 店内は冷えすぎていた。

 空調の風で雑誌の端がふるえ、冷蔵ケースのモーターが低く回る。天井灯はまばたきをしない。椿希はガムを手に取り、必要もないのに菓子棚を一周した。

 レジへ置く。

 電子音が鳴る。

 硬貨がトレーに触れる。

 自動ドアが一度開き、誰も入ってこないまま閉じた。雨に揺れたのぼりがセンサーへ触れたらしい。

 会計を終え、風除室に立つ。

 外は小雨。ガラスには道路を走る車の光が流れ、銀色のミラーへ半円を描いた。椿希の顔の片側だけが青く、もう片側が店の白い光に残る。

 その向こうで、清掃員がモップを洗っていた。

 店内の隅。誰も見ていない床を、ゆっくり同じ幅で拭いていく。右へ、左へ。右へ、左へ。清掃員は椿希の存在に気づかない。椿希も声をかけない。

 ただ、床が少しずつ乾いていくのを見た。

 自動ドアが開いた。冷たい夜気が風除室へ入り、顔の二重写しが消える。

 椿希は外へ出て、ガムの包みを開いた。銀紙が小さく鳴る。ミントの辛さが舌に広がり、鼻の奥まで冷えた。

 電話はしない。

 着信を待つこともしない。

 今夜の自分は半分に見えても、歩く足は二本ともここにある。

 横断歩道の信号が赤から青へ変わる。向かい側では、閉店後の花屋が店先のバケツを重ねていた。金属の縁が触れ合い、澄んだ音が雨の下を転がった。椿希は立ち止まらず、その音だけを聞いた。

 雨の中で店の白い光が遠ざかった。椿希は一人分の速さで、濡れた歩道をまっすぐ帰った。