『研修用ファイルは本番だった』

尾根出版の評価者研修で、榛葉冬花は「改竄を防ぐ方法」を講義していた。

課長たちの前で、研修用と書かれた評価シートを開き、悪い例として点数を書き換える。セルを黄色にし、コメント履歴を確認し、「記録は必ず残ります」と微笑んだ。

参加者の水科徹が手を挙げた。「その社員番号、実在しませんか」

冬花は「架空データです」と即答した。

水科は営業部の部下の番号を覚えていた。画面の社員番号は、その部下と一桁違いに見えたが、列幅を広げると完全に同じだった。氏名だけが〈研修太郎〉へ置き換えられている。

「版履歴を見ても?」

「講師用なので必要ありません」

研修室の管理者権限を持つ総務が履歴を開いた。ファイルは今朝コピーされたものではない。四日前まで実際の評価承認に使われ、十八人分の点数とコメントが入っていた。冬花は研修開始三十分前に氏名列だけ一括置換し、表紙へ〈サンプル〉と追記している。

さらに履歴を戻すと、三人の総合点が承認後に下がっていた。いずれも冬花が推薦する編集長候補と同じ枠を争う社員だった。

冬花は「研修で改竄例を作るため」と説明した。

水科はメールを表示した。評価確定通知は四日前、役員と本人へCC送信済み。その時点では三人ともAだった。ところが翌日、冬花が会議室〈栞〉を一人で予約し、点数をCへ変更。研修予定が登録されたのはその二日後だった。

「つまり、本番を改竄してから、研修用だったことにしたんですね」

三人のうち一人は、その朝、評価Cを理由に編集長面接を辞退していた。冬花は辞退メールを受け取ってすぐ、この研修室を予約している。研修の題名は〈評価後の異議を防ぐ記録管理〉。不正を防ぐためではなく、異議を封じる方法を確かめる場にするつもりだった。

参加者たちのノートを取る音が止まった。

総務部長は研修資料を閉じ、冬花の講師権限と評価者権限を同時に停止した。三人の原評価を復元し、編集長選考のやり直しを決める。

その日の研修で最も分かりやすい不正例は、黄色いセルではなく、教壇に立っていた。