すれ違う二隻の灯
午前一時五十分。東へ向かう夜行フェリーの甲板で、八雲晴臣の電話が鳴った。
新海凛子だった。海を挟んだ遠距離恋愛を終えてから、四か月ぶりの声だ。
「部屋の合鍵、郵送したから」
「俺も今日、そっちの鍵を出した」
「同じ日に返すなんて、最後まで合うね」
風が強く、互いの声は途切れた。凛子の向こうでも汽笛が二度鳴る。晴臣の船と同じ、短く二回。
「今、どこ?」
「海」
「俺も」
晴臣は柵から身を乗り出した。黒い海の向こうに、反対方向へ進むフェリーの灯が見える。
二人が別れたのは、晴臣の〈今はそっちへ行けない〉というメッセージからだった。凛子は〈分かった。もう待たない〉と返し、その後は何を送っても既読にならなかった。
「俺、転職した」と晴臣は言った。「そっちの町で、来週から働く」
電話の向こうで風の音が止まった。
「どうして言わなかったの」
「内定が出てから言うつもりだった。あのメッセージの〈今〉は、その日だけの話だった」
「私は、ずっと無理って意味だと思った」
凛子が笑った。すぐ近くの海から、同じ笑いが聞こえる気がした。
「私も転職したよ。晴臣の町で」
「え?」
「あなたが動けないなら、私が行こうと思って。採用通知を送ったけど、古い会社のアドレスに送っちゃった」
晴臣は退職後に閉じられたメールボックスを思い出す。互いに相手へ向かって町を出たのに、深夜の海で逆向きにすれ違っている。
一時五十七分、二隻の距離が最も近くなった。凛子が甲板へ出たらしい。遠い船の端で、小さな光が振られる。晴臣もスマートフォンのライトを点滅させた。
「これ、笑っていいのかな」
「たぶん。泣くよりは」
「明日の朝、戻れる?」
晴臣はポケットの乗船券を見た。片道しか買っていない。新しい職場の入社手続きは明後日で、一日だけなら戻れる。
「戻る。今度は、行き先を文字で送る」
電話を切るころ、二隻はもう離れ始めていた。晴臣は船内の券売機へ駆け、始発便の復路を選ぶ。印刷された二枚目の乗船券を、返送するはずだった合鍵の控えと一緒に財布へ入れた。