ほどいた袖口

木野瀬織江は、祖母の家を売る前に、押入れから中学時代の制服を見つけた。

右の袖口だけ、糸の色が違う。

卒業式の前夜、祖母が直してくれた跡だった。織江はその夜、服飾の学校へ行きたいと打ち明けるつもりだった。だが祖母が先に「東京なんか行かず、この町で働けば安心だ」と言った。

織江は腹を立て、「おばあちゃんみたいに、誰にも見られない服を縫って終わりたくない」と返した。

翌朝、祖母は何も言わず卒業式へ来た。三か月後に倒れ、謝れないまま亡くなった。

五十五歳になった織江は、町の仕立て店を営んでいる。東京へは行かなかった。それを祖母のせいにした時期も、自分の臆病さだと知る時期も過ぎた。

袖口の糸を一目ほどくと、部屋が三十九年前の匂いになった。

織江の指は十四歳へ戻り、目の前で祖母が針を動かしている。糸を全部抜くまで、この夜にいられる。

「東京の学校へ行きたい」

織江は、祖母が口を開く前に言った。

祖母の針が止まる。

「そうか」

「反対しないの」

「するよ。遠いし、金もかかる。寂しい」

昔は、それを否定だとしか聞けなかった。

祖母は袖を裏返した。

「でも、あんたが行かないで私を恨むのは、もっと嫌だ」

織江は息をのんだ。記憶の中で、祖母はそんなことを言わなかった。自分が話させなかったのかもしれない。

「私、行かなかった」

「未来の話かい」

「うん。ここで服を縫ってる」

祖母は笑った。

「誰にも見られない服?」

織江は泣きながら首を振った。

「着る人が毎日見る服」

残りの糸は短い。

「ごめんね」

「謝るくらいなら、針に糸を通しておくれ。目がかすむ」

織江が糸を通すと、最後の一目がほどけた。

現在の部屋へ戻る。制服の袖は開いていた。

その内側に、小さな布札が縫い込まれている。祖母の字で《織江 東京でも、この町でも、好きな服を縫え》とあった。

織江は家の売却を止めなかった。

ただ、古い作業部屋の窓枠だけを外し、自分の店へ運んだ。

翌朝、その窓の下で、新しい制服の袖を一針ずつ縫い始めた。