クリームの下の領収書
脇坂琴葉は、職場で「気が利く人」と呼ばれていた。
誰かの誕生日にはケーキを手配し、退職者には花を選ぶ。立て替えた代金は、あとで集めるつもりが、千円、二千円と残ったままになった。催促すると空気を悪くしそうで、琴葉は毎月、自分の給料から穴を埋めていた。昼食を小さなパンで済ませた日にも、部署の菓子だけは人数分きっちり買った。
今月は送別会のケーキ代、一万六千五百円が未精算だった。給料日の口座からカード代が落ちると、残高は思ったより少なかった。幹事の上司へ領収書を渡せずにいることを、誰にも言えなかった。
帰りにコンビニで、一人用の生クリームケーキを買った。ふたの上には「いつもありがとう」と印刷された紙の飾りが載っていた。
部屋で開けると、ミルクの甘い香りがした。プラスチックのフォークは柔らかなスポンジへ沈み、力を入れるたび少し曲がった。
琴葉は、紙の飾りを外さず、その周りから食べ始めた。
いつもなら「ありがとう」を最後に取っておき、クリームがついた紙まできれいに拭う。感謝されることが、立て替えた金額の代わりになるような気がしていた。
今日は、丸い飾りの下だけを残した。誰かに感謝される前に、自分が損を引き受ける癖を、白い皿の上で初めて目に見える形にした。ケーキが減るにつれ、「ありがとう」は小さな島のようになった。
琴葉は鞄から送別会の領収書を出し、その下へ置いた。金額の数字が、白いクリームの脇に見える。感謝と精算は別のものだ。気が利く人であることと、黙って支払う人であることも同じではない。
社内チャットで上司へ領収書の写真を送り、「明日の午前中までに精算処理をお願いします」と書いた。謝罪の言葉は足さなかった。
送信してから、飾りの下に残った一口をすくった。紙は食べず、きれいに拭って机へ置く。
翌日、領収書と一緒に提出するためだ。
琴葉は曲がったフォークを捨てた。「ありがとう」を飲み込まなくても、頼んだ仕事の代金は請求していい。