スコアブックの最終頁

鉄平は、三年間ベンチから試合を見ていた。

公式戦に出たのは、二年の春、点差の開いた九回裏だけ。守備機会はなく、打席も回らなかった。けれど、彼の膝にはいつもスコアブックがあった。

一球ごとの配球、打球の方向、走者の癖。雨でにじんだ日も、延長十五回の日も、鉄平は鉛筆を止めなかった。

卒業式のあと、野球部はグラウンドへ集まった。後輩が三年生へ花を渡し、監督が一人ずつ名前を呼ぶ。最後に主将の宏樹が、泥のついた一冊を持ってきた。

「これ、鉄平の」

見慣れたスコアブックだった。表紙は折れ、背のテープは何度も貼り直されている。

「部室に置いとけば」

「駄目だ。持って帰れ」

「学校の備品だろ」

「中身はお前の三年間だ」

宏樹が開いたのは、夏の県大会準決勝の頁だった。九回二死、同点。相手の四番に対し、監督は直球を要求した。鉄平だけが、ベンチから首を振った。

前の二打席、四番は外角球を右へ流していた。三打席目は逆に、内角を待っている。鉄平のメモを見た宏樹がタイムを取り、捕手へ伝えた。外角低めの変化球。空振り三振。

次の回、宏樹の適時打で勝った。

新聞には「主将、決勝打」と載った。鉄平の名前はどこにもなかった。

「この試合さ」と宏樹が言った。「俺、ずっと自分が勝たせたと思ってた」

「勝たせたじゃん」

「半分だけな」

後輩たちが見守る中、宏樹はスコアブックの最終頁を開いた。そこだけ白紙だった。

「最後の試合、書いて」

「夏に負けただろ」

「今日の」

宏樹は校舎を指した。卒業生が窓から手を振り、吹奏楽部が校歌を演奏している。グラウンドの隅では、後輩が白線を引き直していた。

鉄平は鉛筆を受け取った。

日付、三月一日。球場、県立青陵高校。天候、晴れ。

対戦相手の欄で手が止まる。

「何て書く?」と宏樹が訊いた。

「未来、とか?」

「くさい」

「じゃあ空欄」

「それがいい」

鉄平は出場選手の欄に、三年生全員の名前を書いた。自分の名も、九番の下ではなく、一番上へ。

守備位置の記号はつけなかった。

最後に、試合結果の欄へ一本の横線を引く。

「勝ち負けは?」

「まだ試合前」

宏樹が笑い、後輩たちが拍手した。

鉄平は初めて、ベンチではなくホームベースの前で、スコアブックを閉じた。